
【セカンドキャリア】野中由紀「スポーツ推薦選手だけでなく、幅広い専門分野を持った人が集まれる場を維持し、発展させていきたい」
[元全日本ベスト16/筑波大学体育系助教・卓球部監督]
卓球王国2025年5月号掲載 vol.22
筑波大時代に頭角を現し、全日本でランク入りを果たした野中。守備範囲の広い本格派カットマンとして、国際大会にも積極的に参加し、オーストリアリーグではヨーロッパチャンピオンズリーグ3位入賞に貢献した。そして引退後は母校・筑波大で博士号を取得。体育専門学群の助教という研究職に就きながら、男女卓球部監督を務める。卓球界でも唯一無二のキャリアを歩み、道を切り拓いている人物だ。
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[のなか・ゆき]
1985年8月23日生まれ、茨城県出身。5歳時に東海ジュニアクラブで卓球を始める。岩瀬日大高を経て筑波大に進学、3年時に全日本学生2位、4年時に全日本卓球ベスト16。ミキハウス、日立化成(現・レゾナック)、オーストリアリーグ、長崎県教育庁競技力向上対策課、十六銀行(現・十六フィナンシャルグループ)に所属してプレー。2015年に引退し、筑波大博士課程に進んで博士号(コーチング学)を取得。2018年から同大体育系特任助教となり、卓球部監督にも就任。2020年に助教に就任。
私のレベルで自費で国際大会に出続けたことは笑われたかもしれません。でも「やらない後悔よりやる後悔」と考え、挑戦したことにより、何物にも代えがたい経験を積むことができました
チャンピオンクラスの元卓球選手が、大学の教職に就くケースは珍しくはない。しかし、野中は現役の後半に修士号、そして引退後に博士号を取得。国立大のアカデミア(学術的な研究職)の世界で、自力で狭き門をくぐり抜け、研究職に就きながら、卓球部監督も務める。卓球界では異色のセカンドキャリアだ。
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私は茨城県ひたちなか市で生まれ育ち、卓球をしていた母の影響で5歳から東海ジュニアで卓球を始めました。本石章司コーチと母がカットマンで憧れがあり、小2の冬に反対を押し切ってカットマンになりました。クラブには中学まで通い、全中ではベスト16でした。