
【People】柏木眞子「ミセス・裏方」。神奈川県の大会運営を陰で支え続けて50年
卓球王国2025年5月号掲載

もうすぐ80歳になる柏木眞子の毎日は、協会運営の仕事や卓球教室での指導などで過ぎていく。周りの人から「忙しいでしょ?」と言われるけど、柏木自身はそう思っていない。大会の運営や会員登録のために自分がやることが生活の一部になっているからだ。
福岡県の公立高校でインターハイに出場し、国体代表にもなった柏木眞子。1963年の京都インターハイの時に、声がかかって大阪樟蔭女子大に入学した。卒業して福岡に帰ったが、教員の夫と結婚して26歳の時、横浜(神奈川)に転居した。
専業主婦で卓球はやらないつもりだったが、大学の先輩が「卓球大会を開くから」と声がかかって久々にラケットを持ち、試合に出た。そこから再び卓球との長いつき合いが始まった。
全国ラージボール大会のシングルスで優勝した経歴も持つが、選手よりも大会運営や審判のほうに柏木の活動は広がっていく。40年前、横浜から全く知らない相模原に引っ越した時にも、卓球が縁で「仲間」の輪が広がった。相模原のレディース4大会は、組み合わせからプログラムの印刷まで柏木ひとりで行う。充実感と達成感があり、裏方の仕事は苦にならない。
「今回(「PEOPLE」に)出るのも一度断りましたけど(笑)……。私なんかで良いんでしょうか。表舞台に出てグイグイ引っ張るタイプではないですからね」と笑顔を見せた。
神奈川に移り住んでから、卓球仲間とともに汗を流し、ラケットを握り、大会運営の裏方を厭わず、気がつけば50年以上が経った。
県の協会の仕事だけでなく、知的障がい者の大会のサポート、指導者養成にも関わっている。2010年に県協会の理事になり、18年に副会長に就任した。相模原市卓球協会の副会長、神奈川県レディース卓球連盟の会長を23年まで10年間務めていた。柏木のプロフィールを見ると、県協会、知的障がい者、レディースなどの協会・連盟の「副会長」が多い。組織のトップではないが、実務的な組織、大会運営の責任者というポジションなのだろう。
しかも、01年から審判をやるようになって、12年から23年まで県卓球協会審判部の部長を務め、自らも国際審判員のブルーバッジを取得した。「人に勧められて、審判の資格を取るようになったんですけど、ブルーバッジ取得の時にはITTFの審判の方から電話があって、30分間、英語でインタビューを受けた。ラジオの英会話や英語のレッスンや英会話学校にも通って、2回目の試験で受かったんです」と苦労を語る。協会などの幹部役員で国際審判員の資格、しかもブルーバッジまでを取得する人はあまり聞いたことがない。
19年に股関節の手術をしたものの、すっかり回復し、今でも指導をすることが多い。
「卓球愛好者も高齢化していて登録者が減っているけど、幅広く底辺を広げる活動をしたい。各支部でも大会を工夫して、登録人数を減らさないようにしたいですね」
神奈川県は卓球協会の組織運営には定評がある。選手たちが楽しく試合ができるのは、柏木のような献身的な人がいるからだ。裏で支える人を忘れてはいけない。 (文中敬称略)
■Profile かしわぎ・なおこ
1945年5月26日、福岡県生まれ。福岡県立築上西高でインターハイ、国体に出場。大阪樟蔭女子大に進み、卒業後は福岡に戻る。全国ラージボール大会シングルス優勝、神奈川県卓球協会副会長、神奈川県レディース卓球連盟前会長、日本知的障がい者卓球連盟副会長、相模原市卓球協会副会長を務める。ITTF国際審判員のブルーバッジも取得した