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[アーカイブ偉関晴光]「中国の真似をするのは無理ですよ。日本独特のやり方、システムを作らなければいけない」

卓球王国2007年12月号掲載

45歳の男が静かにラケットを置いた。中国代表として世界の頂点を極めた韋晴光は、91年に来日。その後、日本国籍を取得し、偉関晴光として日本の第一線で活躍。
世界選手権団体戦のメダル獲得にも貢献した。しかし、その卓球人生で彼は喜びばかりを得たのではない。苦難の道を歩み、絶望の淵に立ったこともある。だからこそ偉関晴光はより深みのある選手としての魅力を持っていたのかもしれない。
鉄人・偉関晴光は選手としてのゲームセットを迎え、第二の人生のラブオールを自ら告げた。 <2007年>

Interview by

今野昇Noboru Konno

「卓球はぼくの人生のすべて。卓球ありがとう」

PHOTO 高橋和幸

ここ何年かはいつも引退を考えていた気がするね。気がついたら45歳まで伸びていた

 インタビュー前日の10月4日、東京で「偉関晴光 選手引退記念パーティー」が盛大に開かれた。偉関晴光の功績を称え、労をねぎらい、新たな歩みを応援しようとする先輩、後輩、仲間が多く集まった。

 パーティーの前日には秋田国体が終わっていた。全日本選手権の推薦カードを持っていた偉関晴光だが、ラストマッチとして選んだのは来年1月の全日本ではなく秋田国体だった。 

偉関 パーティーはうれしかったですね。でもうれしい反面、正直言ってこれからどうしようかなと考えました。

 今年(07年)1月の全日本選手権も出ようかどうしようか迷ったけど、国体もあったから、とにかく国体まで頑張ろうと。去年(06年)1月の全日本で渡辺将人(シチズン)に負けた時もショックだった。あの時は本当に引退しようと考えて、すぐに秋田卓球協会の小林会長に電話して、「国体は出るのやめます」と言った。そしたら「偉関さん、ちょっと待って。もっと冷静になってから電話して」と言われて、2、3日後に小林さんから電話があった。とにかく国体までやることにしたけど、これから1年、2年やれるのかなと不安もあったね。

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