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[偉関晴光&絹子]所属会社の倒産とアキレス腱断裂。「その瞬間、中国に帰ります!帰りたい!と本当に思った」

卓球王国PLUS独占インタビュー Vol.2

五輪金メダリストの韋晴光(イ・セイコウ)は中国で生まれ、中国で鍛えられた。遅くに国家チームに入ったものの、ダブルスのスペシャリストとして、世界選手権、五輪に選ばれ、見事優勝を達成した。
しかし、もともと個人としての能力が高かったことは疑いもない。1990年のアジア競技大会の男子シングルスでは当時強かった韓国・北朝鮮、そして同士討ちでも圧倒的な強さを見せ、優勝している。
翌年、結婚したばかりの石小娟を連れて、来日。その頃の中国は今のような自由経済の体制ではなく、自国と海外との賃金格差もあり、「外国へ行く」ことは良い暮らしと、お金を稼ぐ好機でもあった。
そして、二人は日本を気に入り、日本国籍を取得することを選ぶのだが、その後に多くの困難が待ち構えていることを知る由もなかった。
所属していたラララの倒産、そしてアキレス腱断裂。二人が乗ったジェットコースターは猛烈なスピードで急降下していた。

中国代表時代の韋晴光(右端)。左から陳龍燦、江加良、許紹発監督、許増才

interview by

今野昇Noboru Konno

1998年全日本選手権で2度目の優勝。長男・展嘉に祝福のキスをする偉関晴光

「え、これで終わりなの!?」と。国籍ってこんな簡単に放棄できるんだということにびっくりした

●─日本のパスポートをもらった時の気持ちは?

晴光 まず中国のパスポートを返さないといけなかったから、将来的な不安が急に出てきました。気持ち的にきつかったですね。90年代は中国はまだ海外で暮らしている人も少なかったし、国外のパスポートの人も少なかった。だから、すごく不安でしたね。正直なところ(日本のパスポートを取ったら)本当に家族の面倒を見られるのかとか、初めて考えました。「俺の責任はすごい重大だ」と思って。

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