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【アーカイブ・カルデラノ】「ぼくの夢はもちろん、 オリンピックでメダルを獲ること、 チャンピオンになることだよ」

卓球王国2018年3月号掲載[世界の至宝・ウーゴ・カルデラノインタビュー]

ウーゴ・カルデラノはダイヤモンドの原石だった。ブラジルで発掘された原石は、フランス人コーチに磨かれ、ドイツの地でダイヤモンドとして光り輝こうとしている。驚くべきはその「卓球年齢」。本格的に卓球を始めてからまだ7年ほどしか経っていないのに、
世界のトップ20に入っている。まさにウーゴ・カルデラノは世界の至宝になっていく。

ウーゴ・カルデラノ CALDERANO, Hugo
1996年6月22日、ブラジルのリオデジャネイロ生まれ。18歳でドイツのマスターカレッジで練習を始め、ブンデスリーガの『オクセンハウゼン』でプレー。2016年ラテンアメリカチャンピオン、2017年ブラジルオープンで単複優勝。世界ランキング17位(2018年1月当時)

PHOTO:中川学・今野昇(五輪)

interview by

今野昇Noboru Konno

実は卓球とバレーボール以外にもぼくは陸上競技の走り幅跳びをやっていた

 (2018年)1月号のアルナ(ナイジェリア)に続き、今月号の表紙を飾っているのは日本の卓球ファンに馴染みの薄いウーゴ・カルデラノ。五輪の地、ブラジルのリオデジャネイロで生まれた21歳。
 もちろん、この選手も表紙を飾るにふさわしい理由を持っている。
 甘いマスクのブラジリアンは、練習の時の集中力は驚くほど高く、試合になれば豪快な両ハンド卓球を見せる。
 カルデラノはドイツのオクセンハウゼンにあるLMC(マスターカレッジ)という卓球選手養成センターで、1年を通して練習に打ち込んでいる。と同時に『オクセンハウゼン』のチームの一員としてブンデスリーガでプレーしている。
 LMCでインタビューをした日、ブラジルから母が来ていた。母は英語学校の教師で、父は体育の教師、という環境に育ったウーゴ。話しぶりは穏やかで流暢な英語を話す。攻撃的な試合ぶりとは裏腹にどこか育ちの良さを感じさせる。
 インタビューの途中で母が部屋に入ってくると急に顔を赤らめ恥ずかしそうにするウーゴ。18歳でブラジルを離れ、ドイツでプロ生活を送るウーゴが見せた、子どものような表情だった。

◇◇

●─まずは君の卓球のキャリア、スポーツキャリアを教えてもらえるかな。

ウーゴ・カルデラノ(以下HC) 卓球は8歳で始めたんだ。生まれたのはオリンピックが開催されたリオデジャネイロ。大きな都市だけど、卓球はあまり盛んじゃない。父と卓球を始めたというか、それはまだ卓球じゃなくてピンポンだったと思うけど、父はぼくにピンポンの才能があると感じた。それで8歳の時にぼくを市内の卓球クラブに連れて行ってくれた。そこでぼくの「卓球」の練習が始まった。でも、週に2回か3回、1回が1時間くらい。そんなに練習量は多くないね(笑)。当時はバレーボールの練習もやっていた。バレーボールの練習は火曜、木曜、土曜日だった。11歳くらいまでの4年間はそんな感じだった。
 実は卓球とバレーボール以外にもぼくは陸上競技の走り幅跳びをやっていたんだ。バレーボールではリオのチームに入っていた。走り幅跳びの練習はあまりしなかったけど、13歳までリオのチャンピオンだった。
 クラブのメンバーはぼくより年上が多かったし、試合に連れて行ってくれたけど、ちゃんとした練習はあまりしてなかった。
 12歳の時に卓球をもう少しやるようになり、基本的な技術を身につけるために、週に4回か5回くらい、2時間ずつの練習をしていた。その頃から少しずつ試合の成績を出せるようになって、ラテンアメリカ(南米)でのカデットの試合にも行くようになっていた。

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