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【People】蔦木詩歩「途上国での卓球指導は唯一無二の体験になる」

卓球王国2025年6月号掲載 蔦木詩歩(つたきしほ)[JICA青年海外協力隊事務局]

今年60周年を迎えたJICA海外協力隊は、1967年から延べ180名が卓球コーチとして海外、特に開発途上国に派遣されている。毎年、春と秋に募集があり、合格後、派遣前訓練を経て、それぞれの派遣国に赴任する。

現在、JICA青年海外協力隊事務局に勤務する蔦木詩歩は「中学2年の時、ユニセフ親善大使のアグネス・チャン氏に『自分のできることをすることが国際協力の第一歩』と言われて、私は卓球で国際協力がしたい」と思ったという。

 小学1年から卓球を始め、全国大会の出場経験はあるものの、全国で活躍するレベルではなかった蔦木。「小·中学と全国大会には出ていたが、目立った成績は残せなかった。全中に出られなかったことがショックでいったん卓球をやめたが、もう少しやってみようと思って、島根の明誠高に進学しました」。

 高校では監督の岸卓臣から指導を受け、多くを学んだ。インターハイに3年連続出場し、3年の時には県三冠王になった。「一時は卓球をやめようと思っていたけど、あそこまで自分のレベルを引き上げてもらったことに感謝ですね」と当時を振り返る。2006年インターハイでは学校対抗のダブルスで、福原愛のペアに勝利した。

 大学は関西学院大の文学部フランス文学フランス語学専修に進学。卓球界では英語や中国語を話せる人はたくさんいるが、フランス語を活かして国際協力ができないかと考えた。大学卒業後はフランス系企業に就職したが、3年目に青年海外協力隊に応募し、フランス語圏である北アフリカのモロッコに赴任した。

 モロッコのベニメラルという町に国内初の卓球専用体育館が作られるタイミングで赴任し、モロッコナショナルチーム監督の下でコーチをする予定だった。

 ところが赴任後すぐにモロッコ卓球連盟側の事情で、大会が開催できず、当初想定していた選手強化の取り組みができなくなった。それでも「とにかくモロッコの卓球の競技人口を増やしたかったし、この国の卓球の未来につながることを何かしたかった」と用具の調達を進め、情操教育を意識して子どもたちに卓球を教えた。

 「モロッコでは子どもたちがボロボロの用具で卓球をやっていて、日本の卓球の環境とは大きく違って、普通に卓球ができるありがたみを強く感じました。自分が選手でやっていた卓球と途上国でやる卓球の価値観は全く別物でした」

 JICA海外協力隊での2年間は、視野が広がり、語学力も身につき、その後の人生に役に立つことも多い。蔦木は帰国後、身につけた語学を活用しながらモロッコ雑貨を買いつけ、日本に輸出するという仕事を見つけ、再び駐在員としてモロッコに飛んだ。

 自身が参加して良かったという心からの思い、より多くの人にJICA海外協力隊を知ってもらい、文化や生活習慣の違う中で卓球を武器に新たな挑戦をサポートしたいという思いで、蔦木は現在JICAに勤めている。

 「途上国から卓球のコーチを派遣してほしいというニーズは今もあります。自分のために卓球をやっていたけれど、協力隊で卓球を教えることで現地の人にものすごく感謝され、卓球の見方も変わり、唯一無二の体験ができます。卓球を使ってもっとチャレンジしたい方、国際協力に興味のある方は協力隊に応募してほしいと思っています」  (文中敬称略)

Profile つたき・しほ
1989年2月1日、岐阜県生まれ。島根·明誠高、関西学院大卒業後にフランス系企業に就職するも国際協力機構(JICA)の海外協力隊でモロッコへ2年赴任。帰国後に再びモロッコヘ渡航、その後、結婚を機にウズベキスタンに2年居住。現在は国際協力機構(JICA)青年海外協力隊事務局の選考·訓練課に勤務。旧姓·町田

2006年インターハイの女子学校対抗。青森山田対明誠のダブルスで福原/原組を破った町田(蔦木・手前右)/大庭組
2006年インターハイの明誠ベンチ。左端が蔦木

▼JICA海外協力隊