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【People】齊藤修[卓球に取り憑かれた秋田のドクター選手]

卓球王国2025年6月号掲載 齊藤修[秋田・夕凪クラブ]

「聖マリのサイトウ」と恐れられた医科大選手。全日本マスターズ優勝を目指す

 秋田県で卓球に打ち込む56歳の開業医。齊藤修は聖マリアンナ医科大時代に、関東学生選手権で強豪を破り、ランク入り(ベスト16)するなど、「聖マリのサイトウ」と恐れられた。後にも先にも医科大の選手が関東学生選手権でランク入りしたのは齊藤以外にいない。
開業医になった今も卓球に燃え、全日本マスターズでの優勝を目指している。

 県下一の進学校、秋田高に進み、OBの伊藤則和(早稲田大卒)の指導を受け、3年の時には県で三冠王となり、1年の秋田インターハイでは団体ベスト16まで進んだ。「伊藤さんとは毎日のように二人で10時くらいまで練習をしていた。卓球の基礎を学ばさせていただいた」。3年の時、齊藤自身は早稲田大に進み、卓球を思い切りやるつもりだったが、祖父の代から開業医だったために、医学の道を歩むべく、聖マリアンナ医科大に進むことになった。

 しかし、齊藤の「卓球への情熱」が消えることはなかった。体育会もない医大で、大学と関東学生卓球連盟に交渉し、まずは卓球部を作り、学生連盟に登録した。関東学連では6部に登録してもらったが、メンバーがいないのでリーグ戦は出たことがなく、シングルスだけの出場。

 全日本学生、関東学生で3年連続ランク(ベスト16)決定で負けていた。いつもラン決で負けるがゆえに3年の頃には「ランク製造マシン」と言われていた。

 「大学では練習ができないから、早稲田大学を中心に専修大、慶応大などいろいろな大学で練習させてもらったことは大変感謝しています。しかし、練習量は少なく都内のクラブチームで夜間も練習していた。4年の関東学生で大正大の石井健吾に勝って、初のランク入り。印象深い勝利だった」と齊藤は記憶している。「大学時代は授業の合間を縫って卓球の練習をしていた。みんなが遊んでいた時間に、ぼくは勉強と卓球だけの学生生活。研修医になってからは夜の10時くらいに終わって、それから練習していた」。

 医大5年の時に菅弘志(慶応大卒)のいた青嵐クラブに加わり、ダブルスを組み、全日本選手権でも大学生や実業団選手を破るなど活躍。その卓球への情熱は常軌を逸していたと菅は証言する。「齊藤と初めて会ったのは早稲田大に練習に行った時。偉そうにしている選手がいると思ったら、早稲田の選手じゃなくて、聖マリのサイトウだった」と笑う。

 「研修医の頃には、彼はでかいマンションに住んでいて、そこに卓球台とマシンを置いて、仕事が終わって夜中2時とか3時頃にマシン相手に練習していた。たまに『生のボールを打ちたい』と、夜中の12時くらいに呼ばれて練習に行ったこともある。クレイジーだけど、その頃の齊藤は強かったね。彼は真剣に全日本のランクを狙っていましたから」と菅は当時を振り返る。

秋田高校3年で県3冠王となった

 研修医の時には病院に頼み込んで、「全日本選手権だから、全日本クラブ選手権だから」とお願いして休みをもらって試合に出ていた。秋田に戻ったのは2000年、32歳の時。夕凪クラブを結成し、母校の秋田高の指導をしながら自分の練習もしていた。

 40歳の頃、2カ所目の診療所を立ち上げ、多忙を極めた。その頃に大病を患い、自分の子どもも卓球を始めたので、選手の活動を休止し、卓球の指導にあたった。しかし、50代を迎える頃に「選手魂」がうずき始めた。「マスターズでも東京選手権でも全国レベルの大会で一度は優勝したい。殻を破りたい。どうしても日本一を取りたい」という思いが湧き上がってくる。 

 「学生の頃は特殊な環境で、リーグ戦も出られない、練習場所がないという不利な状況だったけれど、社会人になれば、同じ環境下で、同じ年齢を背負っている中で、年代別の中で頑張るのも楽しい。昔簡単に勝っていた人に負けたりするけど、これも楽しい。試合をきっかけに交流できたり、卓球をやっているからつながりができる、これも年代別の楽しさですね」 
「今の卓球は進化していて、高校生とやるとチキータもできるし、みんながカウンターを当たり前にやってくる。オリンピックのルブランを見ても素晴らしいテクニックを駆使して戦っていて、勉強して少しでも取り入れようとすることが楽しい。実際には自分の化石のような卓球に取り入れたくてもそうはいかない(笑)。マスターズの試合に出ると今の真新しい卓球とは別の試合があって、そこでやると昔に戻る瞬間があるんですよ」

「マスターズというのは、自分のやってきた積み重ねが若い頃よりも出やすい。年間スケジュールに合わせて練習を積み重ねる。肘が痛い、肩が痛いとはあるけれども、自分の体が動くうちは頑張りたい。今は週に3、4日の練習。秋田高校OB会の会長もやっています。ぼくは頑張り方を高校で教わった。そういうのを今の高校生に教えたい気持ちもあるんですよ」

 卓球愛にあふれる開業医・齊藤修は卓球に取り憑かれた男だ。マスターズ優勝を目指し、ほとばしる情熱を抑えきれない猛者が秋田にいる。(文中敬称略)

聖マリアンナ医科大時代、「聖マリのサイトウ」「ランク製造機」と呼ばれていた

Profile さいとう・おさむ
1969年1月20日、秋田県の象潟町(現にかほ市)生まれ。秋田高時代、県三冠王、インターハイ出場。聖マリアンナ医科大では関東学生選手権ベスト16、全日本学生選手権ではベスト32が3回。秋田に戻ってからは夕凪クラブで全日本クラブ選手権などで活躍。全日本マスターズ・50代で3位。現在医療法人「YAMAZEN」理事長として2カ所の診療所を経営

1994年の全日本クラブ選手権でプレーする齊藤(左)、ダブルスパートナーは菅弘志。神奈川の青嵐クラブで活躍
2019年全日本マスターズで50代で入賞した齊藤
2024年全日本マスターズの50代に出場した齊藤