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[アーカイブ]佐藤瞳のやり抜く力。「やめたいと思う時に自問自答する」

卓球王国2020年11月号掲載

仲良しの友だちに誘われて始めた卓球。
家族は最初、卓球をやることに反対し、「卓球をやらせて」と親に懇願していた佐藤瞳。
中学・高校と道外の名門校に誘われても、高校までを北海道で過ごし、温かい人たちに支えられ、強くなっていった。
高校卒業後、その環境は一変し、世界を目指すミキハウス卓球部で腕を磨いた。
誰もがカットマン佐藤瞳の「やり抜く力」を認めている。彼女はどのように育ち、なぜ世界の舞台で活躍できるのだろうか。
このインタビューはミキハウス在籍時のものでる。

Photo 中川学/奈良武

■ さとう・ひとみ
1997年12月23日、北海道函館市生まれ。尾札部中3年の時に全国中学校大会で優勝し、札幌大谷高1年でインターハイ準優勝。高校卒業後にミキハウスに入社、2019年世界選手権ブダペスト大会で橋本帆乃香との女子ダブルスで3位入賞し、銅メダルを獲得した。ミキハウス→日本ペイント。2020年9月インタビュー当時の所属はミキハウスで、世界ランキング17位。世界ランキング自己最高位9位

Interview by

今野昇Noboru Konno

何かあると「卓球には行かなくてもいいから」と言われ、親には「卓球をやらせてください」とお願いしていました

 2019年世界選手権大会で橋本帆乃香(ミキハウス→デンソー)と組んだ女子ダブルスで銅メダルを獲り、五輪代表レースでは常に4番手につけていた佐藤瞳。

 彼女の武器は粘りまくるカット。高校生の時から全日本選手権では上位に食い込み、強いけれど地味な存在。しかし、彼女の育った環境は他の日本のトップ選手とは一線を画している。

 小学2年生の時に、仲良しだった友だちに誘われて北海道の南茅部スポーツ少年団で卓球を始めた。少年団の設立者、上山悟は当時の佐藤をこう語る。

 「身長も他の子より高いし、我慢強さがあったのでカットマンがいいのかなと勧めた。運動能力や卓球のセンスは小さい頃から普通でした。ただ、努力が普通ではなかった。卓球を始めて半年くらい経ったある日、『もっと強くなりたい』と言ってきたので、『強くなりたいなら走りなさい』と言ったら、子どもは普通3日坊主なのに、瞳は3年近く毎日走っていた。次に『もっと強くなりたい』とまた言ってきたから、『素振りをしなさい』と言ったら、毎日素振りをしていた。次は『自分のために予習、復習で卓球ノートをつけなさい』と言ったら、毎日欠かさずにつけて、彼女の家には30冊くらいそのノートが残っている。卓球の指導を45年やってきて、そんな子どもは他にいない。『やり抜く力』を持っている。

 強くなっても謙虚で奢らない。もうああいう選手には一生会えないでしょうね。卓球を始めた頃は日本代表になるとは想像もしていなかった。強いところに行けば行くほど伸びるタイプですし、負けて強くなる子だった。両親が卓球を知らないのが良かった。子どもにのめり込むことをしなかったから」

◇◇

●─卓球は小学2年生で始めて、1年後に小学3年生以下の北海道大会で優勝したと聞いています。

佐藤 小学2年生の時に同級生の仲の良い子に誘われて、一緒にスポーツセンターに行きました。卓球を始めるまでは、おじいちゃんがやっていた昆布漁を朝の3時半くらいに起きて手伝っていました。南茅部の昆布は有名で、水揚げした昆布を干したり、運ぶ作業を手伝っていました。それは特別なことではなく、私の生まれた町では当たり前のことでした。

 少年団は週2回の練習で、それが3回、4回と増えていきました。コーチの上山(悟)さんが送迎してくれました。

 最初はシェークの攻撃だったけど、うまくできなくて上山さんにカットマンを勧められました。とにかく卓球をしに行くのが楽しかった。上山さんは小学生の子どもに教えるのがすごく上手で、遊びを入れながらの練習。少年団のお姉さん、お兄さんと遊ぶのがとても楽しかった。練習に行きたくなるチームでした。

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