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[ようこそ卓球地獄へ/妄想卓球スパーク!] 卓球選手の髪型

卓球王国ブックス「ようこそ卓球地獄へ」<第3章 妄想卓球スパーク!>より <その22>

Text & Illustration by
伊藤条太Jota Ito

それまでの卓球史に見られなかった、触れると怪我をしそうな危険なまでに鋭い角刈りは、他国に計り知れない脅威を与えた

 卓球選手の髪型について考えてみた。卓球はファッショナブルではないと思っている人も多いと思うが、日本男子の髪型の豊穣な歴史を見て考え直してほしい。

 まず、日本が世界選手権にデビューした1950年代から1960年代を見てみよう。選手でいうと佐藤博治、荻村伊智朗から木村興治あたりまでだが、いずれも長すぎず短かすぎず、きちんと整った清潔感あふれる髪型で、いわば「優等生」といった趣である。明治維新でちょんまげを脱した日本が、この時期すでに世界レベルにあったことを示している。

 1960年代後半、一人の若者が鮮烈にデビューする。長谷川信彦だ。それまでの卓球史に見られなかった、触れると怪我をしそうな危険なまでに鋭い角刈りは、他国に計り知れない脅威を与えた。あまりに独創的であったため、後継者は唯一、中国の王涛(一九九二年五輪複金メダル)を数えるにとどまる。

 一方、長谷川と同時期にデビューして1970年代半ばまで活躍した伊藤繁雄、河野満は見事な七:三分けの「サラリーマン風」髪型で、中国や復興しつつあったヨーロッパ勢に対抗した。1977年バーミンガム大会の男子シングルス準々決勝、河野がラリーの合間のたびに前髪をかき上げて、ヒッピー頭のベンクソンを圧倒する雄姿が今もビデオで確認できる。

 1980年代になると、日本卓球界に一大勢力が台頭する。「パンチパーマ」だ。特に社会人の間では、ルールで決まっているのかと思うほどパンチ旋風が吹き荒れ、世界チャンピオン小野誠治はもちろん、齋藤清も糠塚重造も阿部博幸も桜井(現姓:佐藤)正喜も宮﨑義仁もみーんなパンチであった。高島規郎のように1970年代からいた選手さえもパンチに転向する姿が見られ、後に活躍する渋谷浩、松下浩二、岩崎清信らも“パンチでデビュー”であった。しかし、所詮、人工的なパーマでは天然パーマのヨーロッパ勢に対抗できるわけもなし、かといって髪型もクソもない中国に対抗することもできず、この時期、日本の国際競争力は低下の一途をたどった。

なお、“ハゲ”はファッションではないので、考察の対象外とさせていただいた

 パンチパーマが卓球に及ぼす影響を物語るのが、1981年の前原正浩の全日本優勝である。前原は、30歳にして改心し、それまでの爆裂パンチ頭を丸坊主にして大会に臨み初優勝した。卓球にはパンチより丸坊主が適していることの証左といえる。似たような事例に2000年シドニー五輪での劉国梁の五厘刈りがある。別に髪型で駄洒落をしたかったわけではない。大会直前のUSオープンで日本の偉関に負けた反省から頭を丸めたのだ。おかげで五輪では見事銅メダルに輝いたが、剃っていれば金メダルだっただろう。

 1990年代に入ると、スウェーデンの世界制覇の影響で、若手シェーク両ハンド選手の「刈り上げ」が台頭する。これによってパンチパーマの勢いは急速に衰えたが、1996年度の全日本では、パンチ末裔の岩崎が刈り上げをうまく取り込むニュースタイルで初優勝した。今のところこれがパンチ勢の最後の優勝である。一方、齋藤や山本恒安、小山ちれ(おっと女子だった)のベテラン勢に代表される、どちらかというと自宅で刈ったような「どうでもいい」髪型のしぶい活躍も1990年代に強烈な印象を残した。

 2000年代は言うまでもなく「茶髪」の時代だ。全日本のランクに入った初の茶髪選手は意外にも1996年度の松下浩二だ。さすが日本初のプロ選手、この点でも先駆者であった。その後のランク選手16名中の茶髪の人数は、1997年度0名、1998年度2名と推移し、1999年度に一気に7人に跳ね上がる。その後増減を経て2008年度の全日本では約半数の9名に落ち着いている。髪型ではないが、2000年代で特筆すべきファッションとしてあげられるのは大森隆弘のバンダナだろう。眉毛が隠れるほどズリ下げた極端なバンダナ姿で相手の集中力をそぎ、2000年から六年連続ランク入りを成し遂げたのは見事である。

 以上をまとめると『優等生風』の1950~1960〇年代、『サラリーマン風(+ひとり角刈り)』の1970年代、『パンチパーマ』の1980年代、『刈り上げ』の1990年代、『茶髪(+一人バンダナ)』の2000年代という時代の流れが見てとれる。今後流行する可能性のある髪型としては、七:三分けの茶髪、スキンヘッドにして頭皮を脱色してバンダナ巻きなどが考えられるが、くれぐれも自分を大切にしてもらいたい。

 なお、“ハゲ”はファッションではないので、考察の対象外とさせていただいた。

シドニー「五輪」で「五厘刈り」にした劉国梁(右)

●卓球界に衝撃を与えた抱腹絶倒の連載コラム「奇天烈逆も〜ション」を編纂した「ようこそ卓球地獄へ」(2014年発刊)からの掲載です

■Profile いとう・じょうた

1964年岩手県生まれ。中学1年からペン表ソフトで卓球を始め、高校時代に男子シングルスで県ベスト8。大学時代、村上力氏に影響を受け裏ソフト+アンチのペン異質反転ロビング型に転向しさんざんな目に遭う。家電メーカーに就職後、ワルドナーにあこがれシェークに転向するが、5年かけてもドライブができず断念し両面表ソフトとなる。このころから情熱が余りはじめ卓球本を収集したり卓球協会や卓球雑誌に手紙を送りつけたりするようになる。卓球本収集がきっかけで2004年から月刊誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。世界選手権の[裏]現地リポート、DVD『ザ・ファイナル』の監督なども担当。中学生の指導をする都合から再びシェーク裏裏となり少しずつドライブができるようになる。2017年末に家電メーカーを退職し卓球普及活動にいそしむ。著書に『ようこそ卓球地獄へ』『卓球天国の扉』がある。仙台市在住。

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