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【アーカイブ/アナザー・ストーリー】富岡成一/57年間ラケットを握る毎日。卓球の旅はまだまだ続く

卓球王国2015年1月号掲載[アナザー・ストーリー/富岡成一]

57年間ラケットを握り、卓球の奥深さに触れる毎日。
自分の完成形を探す卓球の旅はまだまだ続く

[Another Story 疾走するアスリートたち]富岡成一(西東京クラブ)

とみおか・しげかず
1945年(昭和20年)1月30日、東京都中央区で生まれる。区立久松中、中央商業高から駒澤大学へ進み、東京青果、唐橋卓球を経て、34歳の時に卓球専門店「トミオカ」を開業。卓球の指導も長年続けている。昭和61年(1986年)全日本社会人選手権大会40代の部(現・全日本マスターズ40代)で優勝、国体の東京代表として2度出場。また26歳の時に交通事故に遭っており、障がい者の全日本選手権、世界選手権にも出場し、2004年にはアテネパラリンピックに出場した

PHOTO:松本靖・今野昇

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今野昇Noboru Konno

「全国大会にも出られなかった卓球少年は
26歳の時に交通事故に遭い、転機を迎えた

 硬式でもラージでも、全国大会の年代別では上位に入っている、表彰台の常連だ。先の全日本マスターズではローセブンティ(70歳以上)の決勝で惜しくも敗れた。
 「勝負では『絶対勝つんだ』という欲があったほうが良いかもしれない。今回のマスターズの決勝、鈴木和久選手(逗子クラブ)との試合もそうだった。最後の1本が足りない、最後に勝てない。最後の詰めが難しい、 これが卓球の奥深さですね」と振り返った。この人からギラギラしたオーラは感じない。軽妙な話しぶりで、人当たりもすこぶる良い人なのだ。
 富岡成一は終戦の年に東京の日本橋で生まれた。家業は果物商だった。当時は近所に公園があり、小学生の時には毎日、日が暮れるまで外を走り回ったり、水泳大会に駆り出されるような運動の大好きな少年だった。
 中学2年までは柔道をやっていたが、体が小さかった。そんな時に、校内卓球大会があり、そこでの活躍が目にとまり、卓球部に誘われ、そこからは卓球に没頭する。始めた時期は遅かったが、これが富岡の卓球人生のスタートだ。「中学時代に指導者はいなかった。見よう見まねでラケットを振っていた」(富岡)。

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