
【アーカイブ/アナザー・ストーリー】田中満雄/企業スポーツの中で生き抜いた。「自分の力は出し切った」
卓球王国2015年5月号掲載[アナザー・ストーリー/田中満雄]
企業スポーツの中で生き抜いた不器用な男の最後の試合。「自分の力は出し切った」
[Another Story 疾走するアスリートたち]田中満雄(シチズン)
たなか・みつお
青森県八戸市生まれ。
八戸市の市川中3年時に全国中学校大会シングルスベスト8、
2001年度全日本選手権ジュニアベスト8、
2002年インターハイ・シングルスベスト8、
2008年全日本社会人選手権3位。
青森の東奥学園高から関東2部の駒澤大に進み、シチズン入社。
1月の全日本選手権が現役選手としては最後の大会となった
PHOTO:江藤義典 &渡辺友
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電話の向こうで田中満雄は泣いていた。
企業スポーツマンとしての矜持が彼自身を苦しめていた
電話の向こうで田中満雄は泣いていた。
2011年11月のある日のことだ。全日本社会人選手権の4回戦で、学生の時にも負けたことのないカットマンに敗れた。企業スポーツマンとして卓球に打ち込んできた男はどん底に落とされた感覚を覚え、言葉を失って、嗚咽(おえつ)を漏らしていた。
その直前に彼から来たメールにはこう書いてあった。
「あの日から毎日涙が止まりません。一生懸命練習し、頑張ってきたつもりです。恵まれた環境で結果を残すことができませんでした。これ以上、どう頑張ったらよいかわかりません。この環境で続けていく資格はないと思いますし、自信もありません」
北国の男は生真面目(きまじめ)だった。企業スポーツマンとしての矜持(きょうじ)が田中自身を苦しめていた。
全日本社会人で負けた後、田中は妻にも親にも「あんな不甲斐ない試合しかできない。もう卓球をやめるつもりだ」と打ち明けていた。事実、全日本社会人の直後の全日本選手権東京都予選には青森から親も駆けつけていた。「これが満雄の最後の試合になるかもしれないから」と。