
【People】濱野加代子:フットワーク軽く、レディース卓球を明るく照らす
卓球王国2025年7月号掲載 濱野加代子[狭山フレンズ]

レディースチーム「狭山フレンズ」(埼玉)を立ち上げ、現在、日本卓球協会レディース委員会委員長を務める濱野加代子。元世界ベスト8の実績を誇りながらも、その気さくな人柄でレディース卓球界に貢献し続けている。
「あんた、カットする時に足がこんなになってるわよ!」「濱野さん、そんな大げさにモノマネしなくてもいいのに〜」
これは狭山フレンズでの指導のひとコマ。実技を交えてカットを教える濱野の口調は、手厳しくも明るい。練習では常に笑顔と真剣さが同居している。
旧姓・川東(かわひがし)加代子は鹿児島県屋久島で生まれ育ち、地元の神山中で卓球を始めた。走るのが速いということでカットマンになり、3年時には全中の団体とシングルスの二冠を達成。
中学の同期4人で福岡県柳川商業高に進み、3年時にはインターハイ団体で優勝。高校時代には攻撃型と同じようにオールフォアで攻撃する練習も重ねたことで、川東は前陣カットから攻撃につなぐモダンなスタイルを身に付けた。
そして高校卒業直前の選考会で川東は日本代表に選出。ちょうど日本卓球リーグ創設の年にあたり、1期メンバーとして川東は第一勧業銀行に入行。その年度変わりのタイミングで行われた世界選手権に初出場した川東は、快進撃を続けてベスト8に進出した。

「その後は勝たないといけないというプレッシャーがあり、精神的にはきつかったですね。全日本のシングルスでベスト8の壁を越えられなかったことだけは悔いが残ります」。こうして川東は25歳でラケットを置いた。「当時は女性が卓球でご飯を食べるという道はなく、ふつうに結婚すると思っていました」。
その後、川東は27歳時に㈱タマス(バタフライ)社員の濱野俊明と結婚。そして子育てが落ち着いた94年に、偶然に引っ越し先で近所になったという第一勧銀時代の先輩・小澤まゆみ(旧姓・葛巻)らとともに「狭山フレンズ」を立ち上げた。その後チームは全国レディースで2度の優勝を果たしている。
転機となったのは、06年に夫が急逝したことだ。失意の中だったが、翌年にタマスからレディース教室講師の依頼が来た。「生前、主人が卓球教室を企画していたこともあり、その遺志を継ぐ意味もあって引き受けました」。
コロナ禍で中断してしまったものの、濱野は長くバタフライ・レディース教室を続けた。現在でも狭山フレンズなどで一般愛好家を教え続けている。
「シニアや初心者に、『現役選手のようなパワーはなくても、台に入れる卓球もあるんじゃないの』と教えています。楽しく和気藹々(わきあいあい)とした中でも、上達を目指してほしいですね」
また近年は日本卓球協会レディース委員会委員長、埼玉県卓球協会副会長の役職にも就き、多忙な日々を送る。
「現役選手を経て、今は裏方の仕事をして、改めて『こういう形で卓球界が成り立っているんだ』と実感するようになりました。多くの課題もありますが、恩返しのつもりで役員を務めています。
卓球はすばらしい生涯スポーツ。シニア層にとって家でじっとしているより健康的だし、それが家族のためにもなると思います」
現役当時の俊敏なフットワークは、今も指導や役員の現場で活きている。レディースを、そして卓球界を陰から支える濱野の活動は、常にエネルギッシュだ。
(文中敬称略)
■ PROFILE
はまの・かよこ
1958年4月5日生まれ、鹿児島県屋久島町出身。柳川商業高から77年に第一勧銀に入行、その年の世界選手権でベスト8。世界選手権に4回出場し、25歳で引退。94年に狭山フレンズを結成。2007年からレディースの指導を開始。21年に日本卓球協会レディース委員会委員長、24年に埼玉県卓球協会副会長に就任