
[あの日々を語る]石田大輔「自分の人生のすべての力を使った10年でした」
卓球王国2025年8月号掲載 石田大輔(前・早田ひな専任コーチ)インタビュー後編
五輪メダリストの専任コーチというのは身を削るような献身と、「命がけ」でエネルギーを注いでいく仕事だ。
早田ひなの前専任コーチ、石田大輔がパリでの「天国と地獄のジェットコースター」の日々を語ってくれた。

Interview by
PHOTO ITTF/ Remy Gros

[いしだ・だいすけ]
1979年9月25日、福岡県北九州市生まれ。石田卓球クラブ(現:石田卓球N+)で卓球を始め、東山高、筑波大に進学し、卒業後、日産自動車に入社。退社し、スウェーデンリーグでプレーした後、ミズノ勤務を経て、2016年から早田ひなの専任コーチとなる。2024年パリ五輪が専任コーチとしての最後の大会となった
いきなりひながベンチに戻ってきた。第一声が「大輔先生、手がまずいです」と言われ、「え?何が」という会話だった
●ーいざパリのオリンピックが始まりましたが、早田選手はすぐに混合ダブルス初戦での敗退というスタートでした。
石田 負けたショックが大きすぎるからこそ、(早田)ひなには小さい頃から、考えてもいいけど、あまり考え込みすぎないでと言ってきました。深く入り込みすぎるとネガティブになることもあるので、試合中もそうだけど、なるべくその時間を短くしたい。
パリの前の最後の3カ月は混合ダブルスに集中していました。WTTでもシングルスに出ないで(シード権獲得のために)混合ダブルスのためだけに行った試合がありましたが、結局、混合ダブルスは初戦で負けた。労力を考えたら引きずるのだけど、すぐに彼女も切り替えようとしたんです。それがオリンピックだと思う。周りの人も混合が負けてショックだけど、本人たちはその何十倍もショックのはず。だから負けた後にはほとんど混合の話はしなかった。
その後のシングルス。3回戦でユエン・ジアナン(フランス)とやった時、相手のホーム(フランス)であっても、勝者を称え、敗者の健闘に拍手を送る観客の盛り上がりは素晴らしかった。オリンピックのあの空気感が選手たちを魅了するんですね。