
【アーカイブ/Another Story】坂根翔大/初の全国大会の表彰台が「全日本」。「ぼく自身の存在価値を大事にして、オンリーワンでありたい」
卓球王国2023年5月号掲載[アナザー・ストーリー/坂根翔大]
[Another Story 疾走するアスリートたち]坂根翔大(大阪・関西卓球アカデミー)
さかね・しょうだい
1997年12月21日生まれ、兵庫県高砂市出身。
宝殿中から育英高(兵庫)へ進み、高校2年で全日本選手権ジュニアの部でベスト8。
インターハイでは3年のシングルスベスト32が最高成績。
関西大に入学後、16年関西学生選手権優勝、17・18年準優勝。18年全日本学生でランク入り。
23年全日本選手権の混合ダブルスで3位、シングルスでは初のランク入り(ベスト16)を果たす
PHOTO:中川学・浅野敬純
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「ラリー戦の強さの理由は中学時代の練習。
ラリーに持ち込んだらあまり負ける気はしない」
1月の全日本選手権でカットマンキラーの坂根翔大が躍動した。
混合ダブルスで3位に入り、表彰台に立ち、シングルスでは初のランク入り(ベスト16)を決めた。大会後、大阪に帰ると周りの反応も全く違っていた。「大阪の子はヤンチャで気が強い子が多いから、全日本から帰ってきて一発目は『坂根さん。そんな強かったんや』と言われましたよ」と坂根は笑う。
関西で生まれ育った遅咲きの坂根翔大は、どのように卓球の道を歩いてきたのだろう。
兵庫県生まれの坂根は、小学1年の時に父の影響で卓球を始めた。自宅が一軒家に引っ越す際に卓球場を併設してからは、自宅での父の指導により腕を磨いていった。「卓球は小学校に入ってから遊び感覚でやってました。小学6年でホカバ(全日本ホープス・カブ・バンビの部)に初めて出たけど、予選リーグで負けた。全中(全国中学校大会)も出たことがないし、全日本カデットもダブルスだけの出場。高校2年で全日本ジュニアでベスト8に入り、そこで人生が変わった感じですね」。
全中に一度も出られなかった坂根は地元の育英高に進んだ。
「兵庫県は育英、滝川第二、滝川、報徳学園の4校が強い。進学校、型にはめる学校、厳しい学校はぼくにはダメで、育英だけが伸び伸びとやらせてもらえそうだった。育英に決まったら、同時に田中雄仁さん(元・東京アート)もコーチとして入ってくれた。タイミングがバッチリですね。それに全日本ジュニアでベスト8に入った時もプラスチックボールになり、スタートラインが一緒になったと思いました」と振り返る。