
「紅双喜」総経理・楼世和が語る「紅双喜の心臓は研究開発です」
卓球王国2025年9月号掲載
世界に冠たる「紅双喜」(こうそうき)のトップが語る/上海紅双喜有限公司総経理・楼世和

Interview by
楼世和/ロウ・シーへ●1956年6月30日生まれ。1974年5月、上海卓球工場に入社。77年までは卓球ボールの製造業務、78~87年には卓球用具の製造機械の開発・製造に従事。その間に、労働者業余大学(夜間大学)を修了。88~95年には、工場の作業場主任、技術検査課副課長、技術担当工場長を経て、95年、「上海紅双喜冠都体育用品有限公司」が設立されると、99年、副総経理(副ゼネラルマネージャー)に昇進。2005年に「上海紅双喜股份有限公司」が設立され、楼世和は常務副総経理(常務副社長)に就任。07年には執行総経理(実務担当社長)、10年に総経理(社長)に就任
「トップ選手に応え、選手を満足させるために協力しながら開発してきた結果、多くの選手たちが使い始めている」
「紅双喜」の前身は1928年から卓球のボールを製造していた上海卓球工場。中国国旗の色、「紅」に、中華人民共和国の建国10周年と、世界基準の卓球用品が完成した2つの喜びを加え、「紅双喜」として1959年に正式に会社設立。1961年の世界選手権北京大会で初めて公式のボールと卓球台を提供した。
その後、紅双喜は卓球のみならずスポーツ用品全般の製造・販売を手掛け、卓球部門では世界最大のメーカーになった。中国チームの多くの選手が紅双喜のラケット・ラバーを使用し、WTTや世界選手権、オリンピックでもボールや卓球台を提供するなど、世界のトップ企業として成長。ボール製造の現場から会社のトップに上り詰めた楼世和総経理(社長)に話を聞いてみた。
◇◇
●─楼世和さんは社長になって何年になりますか?
楼世和 もう15年ですね。
●─その少し前に卓球王国も上海の紅双喜に取材に行かせていただきました。
楼 卓球王国の雑誌は毎月見ています。友人としてというよりも、一読者として素晴らしい雑誌を作っているのをずっと見てきました。
●─ありがとうございます。楼さんが紅双喜に入った当時と今では、紅双喜はブランドとしてもだいぶ変わりましたね。
楼 私はもう紅双喜に入って50年経ちます。最初はボール製造の現場にいて、紅双喜の発展に関われたことに感謝しています。私の先輩、陳德風工場長、黄勇武さん(前社長)が非常に良い基礎を作ってくれて、その土台が良かったので、私が社長になってからも発展できたのだと思います。また、ニッタク社とも80年後半から関係ができ、その後、92年に合弁会社(DNS)を作って、40年近く経ちます。向原一雄元社長、北岡功前社長、そして担当の高林博光さんたちと一緒に卓球界の発展に貢献してきたという思いがあります。