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前全日本女子監督[渡辺武弘という生き方]。「最終的には、監督という存在を消したかった」

卓球王国PLUS独占インタビュー <後編>

人の人生はわからないものだと、渡辺武弘の人生をたどりながらつくづく考える。
もし中学の部活で卓球ではなくブラスバンド部を選んでいたら、もし中学3年の全中で優勝しないで吉田安夫先生と会っていなかったら、そして営業マンとして仕事をしていた2011年に大学の教員の道に入っていなかったら、渡辺武弘の人生は全く違ったものになっただろう。

パリ五輪での渡辺武弘・前監督

わたなべ・たけひろ
1961年12月16日生まれ、福岡県大和町出身。左ペンホルダードライブ型として全国中学校大会シングルス優勝、熊谷商高でインターハイ三冠、明治大学に進学後、協和発酵(現協和キリン)に入社。世界選手権代表4回、1988・92年五輪日本代表。1991年全日本チャンピオン。2011年に中部大学准教授となり、現在は教授。全日本女子チームのコーチを経て、2021年から代表監督を務め、2025年3月に退任

Interview by

今野昇Noboru Konno

専任コーチと個別にミーティングをして、選手にどんな声かけをしてはいけないか、どんな言葉が良いかを確認しました

協和発酵時代に全日本チャンピオン(1991年)になり、まもなく卓球界から退き、営業職に就いた渡辺武弘。
当時の企業スポーツマンとしては当たり前のような道筋だった。卓球という特技を活かし、一流企業に就職し、卓球をやりきった後に自分の人生のアウトラインを描いていく。
ある人は脱サラして、好きな卓球に戻る人もいたし、定年まで勤め上げた後に卓球に戻る人もいる。
渡辺は50歳を目前にして中部大学から声がかかった。20年近くのブランクもありながら、再び卓球の世界に戻り、数年後に今度はナショナルチームからコーチ要請、そして2021年には女子チームの監督要請を受けることになる。
すべては偶然のように見えるが、そこには「ワタナベタケヒロ」という誰からも好かれる人間性ゆえの「縁」があった。

●ー代表チームは各選手に専任コーチや母体があり、それをまとめるのが日本流ですね。
渡辺
 そうです。だからまず選手の意見をよく聞きました。「優しすぎる」「監督として決めましょう」と言われたこともありますが、選手本人から直接何か言ってくることは少なく、母体から要望や提案を言われることが多かったです。専任コーチと話すことが多く、選手には直接は言いませんでした。

●ーあの頃はコロナ禍でしたね。合宿もできず、海外遠征も減っていた時期でした。
渡辺
 2022年の春ごろからWTTのシンガポールスマッシュなどが始まり、少しずつ試合も増えていきました。合宿をやってもコロナに感染させてしまっては大変なので、常に神経を使っていました。

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