
【People】木下裕介「頑張れなかった」男が教える「頑張る」ことの意味
卓球王国2025年9月号掲載
文=浅野敬純 text by Takazumi Asano

専修大時代の木下裕介を知る同年代の人々は、今の彼を見て驚くという。「なんで、こんなに頑張ってるの?」と。かつて、期待されながら入学した専修大で「頑張れなかった」男は、高校生たちを相手に熱く「頑張る」ことを説いている。
小学生で全日本ホープス、中学生で全日本カデットのタイトルを獲得し、全国トップの実力だった上宮高でも主力として活躍。ジュニア時代の木下裕介は、間違いなく同年代の第一集団を走る選手であり、木下にもその自負があった。
しかし、大きな期待を受けて進学した名門・専修大では、それまで厳しく追い込んできた反動か、「頑張る」ことができなくなった。目標もなく規定練習をこなす日々を過ごし、これといった成績も残せず4年間を終えた。そして東京で数年働いた後、故郷の広島へと戻った。
広島では卓球から離れていたが、可部町卓球スポーツ少年団時代の同級生・中島健太(現・進徳女子高監督)に「コーチをしてくれないか」と声をかけられた。呉市に中島が立ち上げた呉夢TTCという小・中学生のクラブがあり、中島が高校の教員になるにあたって、代わりに木下が指導をすることとなった。
教える側としての卓球は新鮮で楽しかった。「呉から全国へ」と、どんどん指導にのめり込んでいったが、ここまで夢中になるとは木下自身も想像していなかったという。
「自分のことじゃなく、選手を相手にしているのが大きいですね。選手とはずっと関係が続いていくと思っているので、簡単にはやめられない。あとはやっぱり、つき合っていくうちに選手たちがかわいく思えてくるんです」
呉夢TTCで10年ほどコーチをしながら、木下は外部コーチとして呉青山高でも指導にあたっていた。そんな中、呉青山高が卓球部の強化を進めることとなり、2022年から同校の監督に就任。その年のインターハイ学校対抗に初出場すると、そこからインターハイ、高校選抜に途切れることなく連続で出場している。
入学を希望する選手も増えているそうで、「ウチの選手の姿を見て呉青山に興味を持ったり、入学してくれた子も多い。本当に選手に恵まれました」と語る。現在はほぼ毎日、呉青山高の練習に足を運んで指導にあたっているが、選手にはこう話している。
「選手には『最後はコツコツ頑張ったやつが勝つ』と話しています。ぼく自身の高校までの頑張った経験、大学での頑張れなかった経験、両方を踏まえて、『どれだけ才能やセンスがあっても、結局は頑張れなければ勝てないよ』って」
ただ、どちらを選ぶかは選手に任せる。理由は指導者が「頑張らせる」ことはしたくないから。自分の意志で「頑張る」ことに意味がある。そして、高い熱量で選手に向き合う姿を見た友人に、こんな言葉をかけられた。
「同級生に『裕介が頑張っているのがうれしい』と言われたことがあって。すごく励みになったし、頑張ることで誰かに伝わるものがあるんだと思いました」
木下にとって、「頑張る」ことの真価は人のためにある。(文中敬称略)
■ PROFILE きのした・ゆうすけ
1982年9月30日生まれ。広島県出身。父が主宰する可部町卓球スポーツ少年団で卓球を始め、小学6年時に全日本ホープスで優勝。中学時代には全日本カデットで13歳以下シングルスとダブルスを制覇。上宮高から専修大へ進み、社会人となってからジュニア選手の指導を始める。2022年より呉青山高監督