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【People】森匡史:地域ぐるみでチームを応援する空気が根づき始めている

卓球王国2025年9月号掲載
文=中川学 text by Manabu Nakagawa

森 匡史[株式会社百十四銀行/代表取締役 取締役頭取]

 創部60年の歴史を誇る百十四銀行卓球部。頭取の森匡史は、チームの特別顧問として日本リーグのベンチに入り、選手に熱い声援を送る。

 小学生時代には少年野球をしていたという森は、中学入学後、野球部の門を叩いたが「小柄だからダメだ」と入部できなかった。特にやりたいと思ったわけではなかったが、「体格に関係なくできる」と卓球部に入部した。部の雰囲気は和やかで、特に厳しい指導もなく、初心者からでも3年間楽しく卓球を続けることができた。

 高校は地元の進学校である丸亀高に進学。迷わず卓球部に入部した。そこでは強い先輩たちが真剣に練習に取り組む姿があり、その姿勢に刺激を受けて自身も努力を重ねていった。毎日の放課後の練習に加え、週末も練習に励み、体力不足を克服するために丸亀城の周りを走り込んだ。高校1年の秋には新人戦の団体戦でレギュラー入りし、香川県大会では団体で優勝を飾った。

 「中学時代は地区大会止まりだった自分が、先輩方の力が大きかったとはいえ県の頂点に立つことができた。四国大会にも出場し、強豪校には歯が立たなかったものの、皆で県外に遠征したのは今も大切な思い出です」(森)

 中学時代は日本式ペンの裏ソフトだったが、「レシーブがうまくできない」という理由で高校に入ってから反転式のペンに変更。「取れないサービスは裏面に貼った粒高ラバーでレシーブすることでミスが減りました」と両面を使い分けるプレースタイルで、ひたむきに卓球に打ち込んだ。

 高校卒業後は慶應義塾大に進学したが、そこでは卓球部には入らなかった。森が再び卓球と関わるようになったのは、百十四銀行に入行して30年以上が経ってからのこと。地域貢献の一環として運動部の役割を見直す動きの中で、4年ほど前から卓球部にも積極的に関わるようになった。

 転機となったのは、当時の百十四銀行頭取である綾田裕次郎に同行し、百十四銀行のバドミントン部と卓球部の選手たちの話を直接聞いたことだった。そこから森が主導となってスポーツ部の改革がスタートした。
 改革の大きな柱となったのは、「午後の練習を業務として認める」ことだった。それまで選手たちは業務終了後から夜遅くまで練習をしていたが、この改革で練習時間が確保でき、練習の質も向上、成績も上向いた。森は、これらの変化が選手たちのパフォーマンス向上だけではなく、銀行のイメージアップに繋がり、行員の連帯感や地域からの評価も高められると確信している。

 今年6月に地元の「あなぶきアリーナ香川」で行われた日本リーグホームマッチでは、1400人以上の来場者数を記録し、これはホームマッチとしては異例の集客数となった。地域ぐるみでチームを応援する空気が根づき始めていることを、森は手応えとして感じている。

 試合では森自身もベンチに入り、選手を間近で応援する中で、卓球という競技の奥深さを改めて実感しているという。「卓球は同じボールは二度と来ない。その一瞬一瞬の判断力や技術の高度さに魅了されています」と森は語る。

 森が考える今後のビジョンは、チームに香川県出身の選手を迎え入れ、地元との繋がりをさらに深めていくこと。また、全国から強豪選手に来てもらう環境を整えるため、練習場や卓球部寮の設備投資にも前向きだ。「ただ強い選手ではなく、性格も良い選手が集まる、今よりもさらに明るく元気なチームを目指したい。香川県のジュニア世代が憧れ、やがて百十四銀行に入行するという“良い循環”を作ることをひとつの理想としたい」と熱く語る。

 「今はラケットを握っていませんが、頭取という仕事を全うして、引退後には仲間と卓球を再開したいですね」。そんなささやかな夢も、森の胸にはしっかりと息づいている。(文中敬称略)

■ PROFILE もり・まさし
1966年11月27日生まれ、香川県仲多度郡多度津町出身。中学の部活動で卓球を始め、丸亀高時代には香川県の新人戦の団体で県優勝を果たして、四国大会に出場。慶應義塾大卒業後に百十四銀行に入行。取締役常務執行役員を経て、2024年4月に代表取締役 取締役頭取に就任。同社卓球部の特別顧問として日本リーグのベンチに入るなど、チームをバックアップしている。