WTT横浜、一瞬の日常が見せた非日常感とポテンシャル

張本智和 「横浜の真実」(後編)
卓球王国2025年10月号掲載
世界選手権ドーハ大会で敗北に打ちのめされた張本智和は初めて“立ち止まる”ことを選んだ。 揺れる心の奥で、勝利への炎は消えることなく、再び燃え上がっていく。 横浜で見せた覚悟の勝利。その裏に隠された、知られざる真実とは。
Interview by
中川 学Manabu Nakagawa

はりもと・ともかず 2003年6月27日生まれ、宮城県出身。元中国ナショナルチームの両親の影響で2歳から卓球を始め、全日本選手権のバンビ・カブ・ホープスで6連覇を達成。13歳で世界選手権シングルスでベスト8入りし、14歳で史上最年少の全日本チャンピオンになるなど、国内外で数々の最年少記録を更新。東京五輪の男子団体では銅メダルを獲得。WTTチャンピオンズ横浜で、自身2度目のチャンピオンズ王者となった。世界ランキング3位(9月9日現在)。トヨタ自動車所属
「戦術で相手を迷わせるところまで持っていけたというのは、ものすごく勝ちがある」
WTTチャンピオンズ横浜での劇的な優勝から休む間もなく、スウェーデンで開催されたヨーロッパスマッシュに出場した張本智和。帰国後もTリーグ、そしてイベントと、多忙なスケジュールが続く中、時間を割いてインタビューに応じてくれた。前編に続いて、インタビューの後編を掲載する。
●――王楚欽との決勝は試合を通して正攻法ではない戦術を貫いていたように感じましたが、その点はどうでしたか? 張本智和(以下・智和) 3―0でリードする前に、途中でもっとチキータを入れようかと思いましたし、3―2になった時に自分の中で「いつチキータを入れるのか」と思いながらプレーしていました。4ゲーム目、6―10から9―10まで迫ったところで王楚欽ベンチがタイムアウトを取って、レシーブでバック側にツッツキしたら回り込んで一撃で得点された。この時に「もうこの戦術だけでは無理かな」と思いました。 それでも5ゲーム目ではまだ3―1でリードしていたから、思い切って戦術を変更することができませんでした。王楚欽はぼくのフリックとツッツキに対してペースをつかみかけていたから、5ゲーム目が一番強かった。