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【Peopleアーカイブ】杉木浩行、どの会場でも会う「杉木さん」。重傷を克服し、笑顔の卓球人生 

卓球王国2021年7月号掲載

Text by
柳澤太朗Taro Yanagisawa

京近郊の大会に長年出ている選手で、杉木浩行を知らない人はいないだろう。東京・高輪高を卒業後、名門チームである代々木クラブでプレーし、全日本クラブ選手権にも第1回大会から出場。「杉木さんにはどこの会場でも会う」ともっぱらの評判だ。

 登録する市や区の卓球連盟は20を超え、コロナ禍の前は週末がリーグ戦やオープン戦で埋まっていたという杉木。優勝回数はとても数え切れない。

 「40年近く登録しているところばかりだからね。卓球仲間があちこちにいて、みんなに良くしてもらってるから」(杉木)

 東京・砧(きぬた)中2年の時、所属していた柔道部の試合で左手を骨折してしまい、余った右手で握るようになったラケット。卓球部に転部するとメキメキ力をつけ、中学時代は地元のスポーツセンターで、当時タマスに勤務していた長谷川信彦(故人・67年世界チャンピオン)に弟子入り。高輪高時代には元・ITTF(国際卓球連盟)会長の荻村伊智朗(故人)にもかわいがられた。ロングサービスからの軽快なスマッシュで、時に大物を食うそのプレーは、荻村が提唱した速攻戦術『51%理論』の影響を色濃く受けている。

 ちなみに杉木の職業は瓦(かわら)職人。杉木瓦店の2代目社長だ。高輪高を卒業後は強豪大学や実業団からの勧誘を受けつつも、職人への道を進んだ。

 「親父は昔気質の職人だったから、『早く腕の良い職人になれ』って言われてね。それで代々木クラブに入って仕事をしながら卓球を続けました。当時は河野満さん(77年世界チャンピオン)、前原正浩さん(現・ITTF副会長)、星野一朗さん(現・日本卓球協会専務理事)とか、すごい選手が揃っていた。荻村さんが創設した国際クラブチーム大会にも日本代表で出ましたね」

 杉木は今から16年ほど前、卓球生命の危機に直面している。仕事中に2階の屋根から落ちてしまい、腰椎を3本骨折。「下がたまたま土で、足から落ちたから助かったけど、頭から落ちていたら助からなかった」という重傷だった。

 「腰椎がつぶれているから、車椅子は覚悟してください」。医者からそう告げられたというが、神経はギリギリのところで無傷だった。杉木の入院を聞きつけた卓球仲間がひっきりなしにお見舞いに駆けつけ、病院から怒られたというからさすがに顔が広い。

 「入院中も病室にラケットを置いていて、みんなに笑われたよ。半年で退院して、リハビリに1年くらいかかって、久しぶりにオープン大会で優勝するまでは2年かかったかな」

 今は瓦職人の仕事が忙しく、休みは1カ月に1日。それでも大会に出れば目指すは優勝だ。「打てるうちはスマッシュを打って、いける限りは51%理論でいきたいね」と、未だ果たせぬマスターズや全日本クラブ選手権での優勝を狙う。

 「卓球を愛して、強い人も弱い人も、良い人がいっぱい仲間になって、ここまで楽しく卓球ができたんだよね」と語る杉木浩行。いつもお天道様の下で働いている彼の「陽」のオーラは、これからも多くの卓球仲間を惹きつけていくだろう。   (文中敬称略)