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【セカンドキャリア】森田侑樹「卓球がいろんなものをつなげてくれました。卓球があったから今の自分があります」

[シチズン時計/全日本ベスト8]

卓球王国2025年12月号掲載 vol.27

中学1年の部活から始めた卓球少年、森田侑樹。東山高、中央大と進み、「卓球と仕事の両方をやりたい」と実業団の名門・シチズン時計に入社。
全日本社会人選手権で準優勝、全日本選手権でもベスト8の成績を残し、32歳で現役を退いた。社内では総務から広報に移り、昨年、社内での香港勤務の募集に手を挙げ、現在は香港で人事総務の仕事をこなす。卓球で培ったコミュニケーションと気配り。そしてチャレンジ精神を忘れてはいない。

Text by

今野昇Noboru Konno

[もりた・ゆうき]
1987年8月27日生まれ、石川県津幡町出身。中学3年で全中ベスト8。東山高から中央大に進学し、関東学生新人戦優勝、全日本学生ダブルス優勝。大学卒業後はシチズンでプレーし、2015年度全日本社会人準優勝、全日本選手権ベスト8。2019年に現役引退後、総務・広報を経て、2024年12月からシチズン時計の子会社「新星工業有限公司」「シチズンウオッチ香港」の2社を兼任する人事総務として勤務

香港でパソコンに向かう森田

中学1年から卓球を始め、東山高、中央大、そしてシチズンへ。社会人2位、全日本ベスト8 

森田侑樹は公立の津幡中3年時に全国中学校大会でベスト8に入った。中学3年の郡大会の前日に38歳の母を癌で亡くした。「一緒に卓球を頑張ろう」とやってきた母の思いを汲み、葬儀を1日遅らせ、翌日の郡大会で優勝。母への思いから見えない力が宿り、県大会、北信越で優勝し、全中でも活躍できた。その後、東山高に進学。インターハイは3回戦が最高成績で、全日本ジュニアには一度も出ていないが、今井良春、宮木操の両先生に教わったことがその後に生きた。中央大では将来の選択肢として、教職の免許を取得した。

◇◇

中央大に入り、関東学生新人選手権で優勝できたことが自信になりました。高校時代から「自分で考えて練習する」ことが身についていたのが良かったですね。
大学の時は長く卓球を続けるつもりはなかった。ぼくは卓球を部活で始めているので、まわりの選手の「ホカバ(ホープス・カブ・バンビ)」の話にはついていけなかった。ぼくはホカバに出ていないから。
大学3年の頃からシチズン(現シチズン時計)から声をかけてもらっていましたが、石川県に戻ることは考えず、卓球を続けるかやめるかも明確には考えていなかったんです。仕事をしながら卓球をやることを考えていた。卓球は遅咲きだったので、もう少し続けたい気持ちもあったが、誘われるチームがなかったら卓球をやめて普通に就職するつもりでした。
シチズンの渡邉将人さんと中野祐介さんと話をして最終的に決めました。リーマン・ショックでシチズンも大変だったので「他も探しておいてくれ」と言われ、「シチズンがダメだったらぼくは卓球をやめます」と答え、大学4年の時にようやくシチズン入社が決まった。

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