[People]今 佳恵「情報提供や対応は常に平等であることを心がけています」
卓球王国2026年2月号
PEOPLE 今 佳恵[青森県卓球連盟事務局]
こん・よしえ
1984年9月26日生まれ、青森県青森市出身。小学5年で卓球を始め、青森商高から東京女子体育大に進むも途中で大学を辞め、ニュージーランドへ語学留学。その後、青森に戻り、2010年から青森県卓球連盟の事務局で働く。旧姓・山谷

「情報提供や対応は常に平等であることを心がけています」
2026年、49年ぶりに国民スポーツ大会(国スポ・旧国体)を迎える青森県。かつてシングルスの世界チャンピオン佐藤博治・河野満を輩出し、多くの全日本チャンピオンを育てあげ、「卓球王国」と呼ばれた県である。その青森県卓球連盟の事務局で15年間にわたり、裏方として活動しているのが今佳恵だ。
◇◇
青森を取材で訪れる前、青森県卓球連盟の河野満会長に「裏方として頑張っている人を紹介してほしい」と依頼すると、真っ先に名前が挙がったのが今佳恵だった。「彼女がいないと県連盟の仕事が回らない」と言わしめるほど、河野会長からの信頼も厚い。
今佳恵の旧姓は山谷。小学生の頃、最初は陸上部だったが、小学5年で卓球を始めた。「青森は冬になると雪で陸上ができないので、母がたまたま卓球をやっていたこともあり、私も始めたんです」。青森山田ジュニアができると聞き、そこで卓球を習った。弟は現在、青森山田学園で監督を務める山谷仁生である。当時の青森山田ジュニアのコーチは石岡美樹で、石岡は青森県卓球連盟の事務局を担当していた。
青森商高では三上雅也監督(元ヤマハ)のもとでプレーした。「私もペンドライブ型だったので、あこがれの先生でした」。その後、東京女子体育大に進学したが、途中で大学を辞め、バイトをしながら英語を勉強。1年間ニュージーランドに語学留学した。
「23歳で青森に戻ってきて雑貨屋でバイトしていたら、青森山田の船水豊之先生(故人)が店に来て、『お前、何をやっているんだ。卓球に戻ってこいよ』と声をかけてくれたんです。そして、2010年度から事務局の仕事をするようになりました。私が事務局で働き始めた時の連盟の理事長は三上先生で、また師弟関係になり、事務局長は青森山田の渡辺俊治先生でした」
父の会社に籍を置きながらも、生活の中心は卓球連盟の仕事だった。親からも「卓球連盟の仕事を手伝いなさい」と言われていた。「まだ郵送とかFAXの時代で、大会の選手名簿をひたすらエクセルに打ち込むところから始めました。石岡さんや高森美恵子さん(前事務局)に教わりながら覚えていきました」。
15年間、事務局スタッフとして連盟を支え、3人の会長と3人の理事長のもとで仕事をしてきた。会長や理事長が変われば環境や雰囲気も変わるが、忙しさは変わらない。事務局として県大会の運営、登録、組み合わせなど、業務は多岐にわたる。
「事務局はまず平等でなければいけない。みなさんの話を聞くけれど、全部に応えられるわけではないので、情報提供や対応は常に平等であることを心がけています。選手たちに会場で『お久しぶりです』と声をかけてもらえるとうれしいですね」
2026年秋の国スポに向けて大会視察に赴き、リハーサル大会と位置づけられた全日本選手権・団体の部(25年10月)でも業務に奔走した。「国スポまでは事務方として全力で走ろうと思っています。わからない部分は競技役員の方が助けてくれます」。
かつて「卓球王国」と呼ばれた青森県は、今なお県内各地に熱心な指導者や選手がいる。しかし、その陰には、今佳恵のように連盟や大会を支える裏方がいることを忘れてはならない。
(文中敬称略)

