【アーカイブ/Another Story】坂本竜介/かつて怪童と言われた男
卓球王国2013年3月号掲載[アナザー・ストーリー/坂本竜介]

さかもと・りゅうすけ
1984年11月25日生まれ、愛知県出身。1996年全日本選手権ホープスの部優勝、1999年全国中学校大会シングルス優勝、1999年度全日本選手権ジュニア優勝。青森山田高3年の2002年にドイツのデュッセルドルフに岸川とともに卓球留学し、ブンデスリーガで5シーズンに渡り活躍。青森大卒業後は協和発酵に入社。全日本選手権ではランク入り(ベスト16)すること6回を数え、2005年度にはベスト4入り。 2004年度、2006年度全日本選手権混合ダブルス優勝、2012年全日本社会人選手権男子ダブルス優勝。平成24年度全日本選手権が第一線で戦う最後の大会となった
PHOTO 奈良武・高部大幹
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かつて怪童と言われた男は、イップスと闘い続け、全日本に別れを告げる

「マリオが来たことは日本にとって大きなターニングポイントだったと思う。卓球がどんどん変わっていった」
かつて高校卓球界で「怪童」と言われた男がいた。
平成24年度全日本選手権を最後に第一線を退く坂本竜介がその男だ。小学生時代には全日本ホープスの部で優勝。全中と全日本ジュニアも優勝。インターハイでは中国人留学生の壁の前に優勝できなかったが、将来を嘱望されていた若手だった。そんな彼の卓球人生を変える転機が高校3年の9月に訪れる。
それは2002年のドイツへの卓球留学。中学3年の岸川聖也とともにドイツのデュッセルドルフでカリスマコーチのマリオ・アミズィッチに指導を受けながら、練習に励み、ブンデスリーガに参戦した。日本卓球協会、母体である青森山田高のサポートを得て、それまで例のなかったドイツ卓球留学の第一人者として海を渡ったのだ。
「あの頃は何も考えてなくて、世界一になりたいという大きな夢があった。何も考えてなかったから試合でも勝てたし、相手を考えずに自分の好きなように無我夢中でやっていた」
近年、日本の卓球史の中で転換点があったとすれば、この2002年がそれだろう。坂本、岸川がドイツに行った頃は「ヨーロッパでコーチを受けても日本人には無理だ。日本人には日本人に合ったやり方がある。ヨーロッパの卓球のコピーで日本が勝てるわけがない」と日本卓球協会の指導者会議などの公の場でも否定的に言われていた。

