[People]齋藤一美 50年続くは神の如し。浮舟杯を続けた「母校愛、卓球愛、地域愛」
卓球王国2026年4月号
PEOPLE 齋藤一美[浮舟杯実行委員長・福島県卓球協会会長]
さいとう・かずよし
1949年12月18日生まれ、福島県南相馬市(旧小高町)出身。小高工業高(現・小高産業技術高)卒業後、日立製作所を経て26歳で独立し、株式会社セントラル住設を創業。福島県卓球協会会長、日本卓球協会評議員を務める。元日本卓球協会理事

多くの人々が南相馬へ集い、浮舟杯の歴史は、温かな支援の輪によって紡がれてきた
かつて福原愛、張本智和・美和兄妹らも参加した「浮舟杯」。節目の50回目を迎えた今年の大会には、653名の選手が参加した。福島県南相馬市で毎年開催されるこの大会を支えているのは小高工業高校のOBたちであり、その中心にいるのが齋藤一美だ。
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齋藤は中学から卓球を始め、小高工業高校から同校初のインターハイ出場を果たした名選手だった。卒業後は日立製作所での勤務を経て独立。OBとして母校を強くしたいという一念から、1976年2月10日に第1回「浮舟杯」を開催した。自身の会社(セントラル住設)の設立日を同日に合わせたことからも、その決意のほどがうかがえる。
「小高工業を強くしたい。そのためには強い選手を呼んで、後輩たちに高いレベルの練習や試合を経験させたい。ただその熱い気持ちだけで始めたのが浮舟杯でした。1回目は高校の体育館を会場に、参加者は100人程度。その後、中央大や実践商業高(現・実践学園高)、日本体育大といった強豪が来てくれるようになり、10年目からは南相馬市スポーツセンターで開催するようになりました」
今年も協和キリン、中央大、明治大、早稲田大、木下アカデミーなどの強豪が顔を揃えた。
「30回大会の時は不景気でしたが、1200名の参加者のうち700名以上が南相馬に宿泊してくれました。経済を活性化させ、地域に貢献できた。地元の方々も本当に協力してくれました」
順風満帆に見えた大会を、未曾有の災禍が襲う。2011年、第36回大会のわずか1カ月後に東日本大震災が発生。会場の南相馬市スポーツセンターは遺体安置所となり、復旧には長い時間を要するとされた。齋藤は2012年大会の中止を一斉に連絡した。
「そうしたら、西村卓二さん(元全日本女子監督)が『ちょっと待って。浮舟杯の灯を消したらだめだ』と言ってくれた。吉田壮一さん(現・富里市立根木名小校長)はじめ、多くの方が動いてくれて、千葉県東金市で代替開催ができることになり、3年分の開催費用まで準備してくれたと聞いた。大会が始まり、涙が止まりませんでした。『東金でやったら(感謝の)涙が出すぎて3年ももたない。早く地元に戻ろう』と、翌年には南相馬で開催できるよう奔走しました。体育館を修復し、再び大会を開くことこそが復興への一歩。再開時の参加者は500人ほどでしたが、またこの地で大会ができた」
震災を乗り越えた浮舟杯に、今度はコロナ禍が立ちはだかる。しかし、齋藤に迷いはなかった。「2021年大会も、絶対中止にはしませんでした。徹底した消毒や検査を行い、継続した。『50年続くは神の如し』という言葉を胸に決意。中止という選択肢はなかった」。
齋藤の情熱と人柄に魅せられ、多くの人々が南相馬へ集い、浮舟杯の歴史は、温かな支援の輪によって紡がれてきた。
「卓球が好きだから、来てくれる人に喜んでもらいたい。それが私たちの喜びです。そこには人との出会いがあり、主催者としての誇りがある。『母校愛、卓球愛、地域愛』。この3つがないと50年は続きません。日本卓球界にとっても、裾野を広げるローカル大会が不可欠です」
「いつの間にか50年経ったけれど、本当に多くの人に支えられました」。幾多の困難を乗り越え、灯を守り続けた男は、そう語った。 (文中敬称略)




