[クローズアップ]震災から15年。失った景色を取り戻すために大熊町へ帰った24歳・原田優芽
卓球王国2026年5月号掲載
「誰かがやらなければ、町は続いていかない」。その「誰か」になることを、彼女は自ら選んだ
2011年3月11日、東日本大震災と原発事故によって、住み慣れた町を追われた原田優芽。避難先での暮らしを支え続けたのは、大好きな卓球だった。東京富士大学を卒業後、彼女が戻ったのは、かつての故郷・大熊町だった。


Text by
今野昇Noboru Konno
2011年3月11日に小学3年の原田優芽は被災し、故郷を追われた
15年という月日が流れた。人々の記憶がどれほど薄れようとも、福島の人々からあの日――東日本大震災の記憶が消えることはない。福島県大熊町で生まれ育った原田優芽の人生もまた、2011年3月11日を境に一変した。
大地震と津波、そして自宅からわずか6㎞の場所にある福島第一原発の事故。小学3年生の春、家族5人でバスに乗り会津若松市へ避難。借り上げアパートを経て、その後、喜多方市へと居を移した。
過酷な環境下でも、彼女の傍らには常に卓球があった。全日本ホープス・カブ・バンビ、全中、そして桜の聖母学院高ではインターハイに出場した。高校2年で東北チャンピオンとなった彼女は、名将・西村卓二監督率いる東京富士大へと進む。卒業後、実業団で競技を続ける道もあった。しかし彼女が選んだのは、震災前の10分の1まで居住人口が減った故郷・大熊町へと戻り、役場職員として働く道だった。2月の浮舟杯(南相馬市)で出会った原田の、静かな、しかし強い決意に耳を傾けた。

「何もなくなった」景色と、「悲しい気持ち」が原田を突き動かした
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私は2001年に大熊町で生まれ、小学3年生まで大野小学校に通っていました。あの日、原発事故の影響で町全体が避難を余儀なくされ、会津若松市の廃校を利用した合同校舎で「大熊小学校」として再スタートを切りました。

