[People]岩周宏展 元学生王者は東北福祉大で指導。「私を育ててくれた卓球に恩返しを」
卓球王国2026年5月号
PEOPLE 岩周宏展[東北福祉大女子卓球部監督]
いわちか・ひろのり
1962年2月14日生まれ、中国・広西省出身。中国名は周宏。1984年アジア選手権団体優勝。84・85年に全中国選手権男子ダブルス優勝、86年同男子シングルス優勝。1988年に来日し、埼玉工業大でプレー。1991・92年全日本学生選手権シングルス優勝。2014年に東北福祉大女子卓球部コーチに就任。現在は同部監督、宮城県卓球協会理事。2013年、中国・清華大学新聞与伝播学院修士課程修了


中国卓球協会会長の徐寅生、李富栄らの後押しもあり、日本行きが決まった。そして、1988年10月に来日
1980年代の中国にあって、両面裏ソフトの両ハンドドライブ型で、ヨーロッパ対策の仮想敵(ワルドナー、グルッバ等)として国家チームに貢献した「周宏」。1988年に来日し、埼玉工業大へ進学。91年、92年の全日本学生選手権シングルスで優勝を果たした。98年に日本に帰化し、岩周宏展の名前で現在は東北福祉大女子卓球部の監督として指導にあたっている。
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8歳の時、広西省桂林市で卓球を始めた周宏。父は小学校の体育教師、母は国語教師だった。11歳の時、桂林市代表として広西省のジュニア(17歳以下)の大会で優勝し、その後、広西省代表チームに入った。
81年、 19歳の時に国家チームに招集される。「当時の中国はペンホルダー攻撃・前陣速攻型で世界と戦う方針だった。私は両面裏ソフトの両ハンドドライブ型だったため、施之皓、蔡振華、謝賽克、江加良、陳龍燦さんたちのヨーロッパ対策の練習相手でした」。
練習相手ではあったが、86年には全中国選手権で優勝するなど実力を身につけていた。
その後、中国卓球協会会長の徐寅生、李富栄らの後押しもあり、日本行きが決まった。そして、88年10月に来日し、名古屋で日本語学校に通い始めた。
当時すでに結婚しており、妻は国家チーム訓練基地の医療センターで医師として働いていて、周より先に日本へ渡っていた。28歳で埼玉工業大に入学し、妻を名古屋に残して単身で関東へ移った。「生活面は問題なかったけど、授業は難しかった。入学当初、大学は関東学生リーグ5部でしたが、2、3年時に全日学(全日本学生選手権)で優勝できました」。全日学では、世界団体チャンピオンの王会元(龍谷大)を両ハンドのパワードライブで破っている。
卒業後は卓球界を離れ、国際貿易のビジネスに携わるため名古屋へ戻った。98年に日本に帰化し、岩周宏展となった。
転機は娘の存在である。娘がゴルフを始め、中学の時、中部ブロックで優勝。2006年、仙台の東北高へ進学することになり、家族で仙台へ移住した。岩周は縁あって東北福祉大の国際交流部門の職員となる。世界ダブルスメダリストだった大倉峰雄(楊玉華)の紹介もあった。娘はその後、東北福祉大へ進学し、ユニバーシアードに2回出場した。
岩周は2014年に卓球界へ復帰。東北福祉大の女子卓球部コーチに就任し、19年に監督となった。
「2014年に戻った時、ボールの回転量やスピードが昔ほどではないと感じた。その分ラリーは増えている。ペンホルダーはほとんどおらず、皆シェークでチキータを多用する。チキータという技術が前面に出すぎている印象もあり、本当にこの方向でいいのかと考えた」
妻も趣味で卓球を楽しみ、動画を見るのが好きだという。「孫穎莎が好きすぎて、中国まで追いかけている」と笑う。「64歳になりましたが、私を育ててくれた卓球界に貢献したい。卓球への恩返しですね」
流暢(りゅうちょう)な日本語で語る岩周宏展。ラケットを握れば、往年の強さを思わせる鋭いスイングは今も健在であった。 (文中敬称略)


