【アーカイブ】高橋浩「誰と戦おうが荘則棟の卓球を貫くというのが彼の特長であり、そこに固執していました」
2013年6月号 高橋 浩インタビュー(元日本代表/1965年世界ランキング5位)

世界史に名を残した荘則棟。
その荘則棟に3勝1敗と勝ち越した日本選手が高橋浩だ。
前陣両ハンド速攻型の荘則棟を変化サービスからの両ハンド強打で打ち破った。特に、65年世界選手権で団体決勝で完勝し、シングルスで敗れた試合は語り継がれる名勝負と言われている。僚友・高橋浩が今、荘則棟を語る。
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1965年世界選手権リュブリアナ大会 <団体決勝>
中国 5-2 日本
張燮林 16-21,21-12、16−21 高橋浩◯
◯李富栄 21-18,21-19 小中健
◯荘則棟 21-13、15-21、21-18 木村興治
◯張燮林 21-8、21-10 小中健
荘則棟 18-21、20-22 高橋浩◯
◯李富栄 21-18、15-21、21-13 木村興治
◯荘則棟 21-19、12-21、16-21 小中健
*当時は3人ずつの総当り9シングルス、21点制、中国が優勝、日本は2位
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<男子シングルス準々決勝>
荘則棟 21-18、21-8、21-15 高橋浩
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荘則棟 そうそくとう/ジュアン・ヅェトン
1940年8月25日、中国・江蘇省揚州市生まれ、北京で育つ。1961・63・65年世界チャンピオン。71年の有名な中国とアメリカのピンポン外交での中心的な存在となり、その後、33歳でスポーツ大臣まで上りつめるが、76年の江青・毛沢東夫人ら四人組失脚とともに大臣を解任され、失脚した。2013年2月10日逝去、72歳だった
高橋 浩 (元日本代表/1965年世界ランキング5位)
「誰と戦おうが荘則棟の卓球を貫くというのが彼の特長であり、そこに固執していました」
団体で敗れた後、両ハンドからフォア主体に変えた荘則棟
現役時代、我々が常に頭の中に描いたのは徐寅生さん、荘則棟さん、李富栄さん、張燮林さん、この4人です。この人たちを目標に青春時代に必死に卓球を追い求めていました。私個人としては荘さんと4回戦ったので、他の選手よりは強い思いを持っています。
62年の日中交歓大会でいきなり日本代表に抜擢されて、初めて荘さんと対戦しました。その頃の私は学生のベスト16くらいの強さでした。無我夢中でやって、勝てた。翌63年の日中交歓大会で2回目の対戦。一度戦っているので私にも若干心の余裕ができて、いろいろなことを試みようとしました。そういう中で荘さんは自滅した。ミスを誘ったと言えるかもしれないけど、彼が自滅したという感覚があります。私は粘り切れたし、球も合っていました。
次に荘さんと対戦したのは、65年世界選手権リュブリアナ大会の団体決勝です。日本代表として勝たなければいけないという状況で、対荘則棟の準備を十分していたために、スコア的には接戦だったけども完勝したと思っています。そこで対荘則棟は3戦全勝となったのです。私の卓球は非力であるがゆえに、サービスからこう攻めて、次にこれを……というように私自身も自分主体に構築したが、そういう戦いの中で3度目の試合は私が主導権を取ることができた。カウントは競っていたが主導権を取っていた。私は勝てるという自信があったし、彼のほうが負けられないという重圧があったのでしょう。かつ私は2年間で変化し、レベルも上がっていたから少々のことでは崩れなかった。ほんのちょっとした気持ちの持ち方の差が結果に出たと思います。

