呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
真説 卓球おもしろ物語10【卓球ニッポンの幕開けと用具革命 〜ついに世界の舞台に躍り出た日本の卓球】
〈その10〉卓球王国2021年4月号掲載
Text by
伊藤条太Jota Ito
卓球コラムニストの伊藤条太氏による、卓球の歴史に隠された興味深い物語を紹介するこのコーナー。10回目は、日本が世界選手権に初出場ながら4種目で優勝した1952年。その活躍の裏には、日本卓球史最大の用具革命があった。
参考文献:『卓球物語』藤井基男、『卓球・知識の泉』藤井基男、『笑いを忘れた日』荻村伊智朗、『卓球界』1950年22号
写真:『写真で見る日本卓球史』(公財)日本卓球協会(平成15年)
ついに世界の舞台に躍り出た日本の卓球
昭和27(1952)年2月、日本は初めて世界卓球選手権に出場した。1902年に日本に卓球が伝来してちょうど50年後だった。それから今日までがまだ70年ほどであることを思えば、世界に出るまでの年月がいかに長かったかがわかるだろう。この間に幾多の技術的・組織的発展があり、語り継がれる名勝負が繰り広げられてきた。その日本の卓球が世界で試される時がついに訪れたのだ。しかも日本には史上最強の藤井則和がいる。卓球人の興奮たるやいかばかりだっただろう。
開催地であるインド・ボンベイ(現ムンバイ)に降り立ったのは、男子が藤井則和、林忠明、佐藤博治の3名、女子が西村登美江、楢原静の2名という、それぞれの団体戦に必要な最少人数の選手たちで、これを城戸尚夫(団長・後にアジア卓球連合会長)と大門大亮(監督・後に日本卓球協会副会長)が率いた。
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