呉光憲の申裕斌への手紙「申裕斌だったらできるよ。申裕斌らしくプレーすればいいよ」。彼はパリに爪痕を残し代表チームを去った
[今野の眼]「家庭が壊れてしまう」と嘆くプロコーチの憂鬱。優秀なコーチがいなければ選手は育たない
卓球王国PLUS独占記事
Text by
今野昇Noboru Konno
日本代表監督の初のプロ契約は1997年のソーレン・アレーン。日本は成績が悪くても解雇されたコーチはいない
なぜこれほど増えたのだろうか。
1993年に選手としては松下浩二が初めて「レジスタードプロ」宣言をした。それまで日本の卓球界で「私はプロコーチだ」と公言していた人を知らない。
実質、卓球の仕事しかしていない指導者、レディースの選手たちを教える「ママさんコーチ」という人はいた。
しかし、「私の職業は卓球のコーチ、私はプロコーチです」と公言する人はいなかった。「卓球選手が私の仕事です」と言う人がいないのだから、当たり前のことかもしれない。今は日本代表クラスのコーチから町の卓球場で教える指導者まで、プロコーチが溢れかえっている。日本の卓球市場ではプロコーチの需要が依然高い。
1990年代まで日本卓球協会の中でも強化本部や、現場の監督は専任ではなかった。実業団出身の選手OBが企業から「出向」という形で、給料は自分の会社からもらいながら、代表チームを率いるという形のコーチもいた。「ダメ監督」とレッテルを貼られても自分の会社に戻ればいいだけだ。プロフェッショナルとは言えない。