水谷隼&吉村真晴の本音トーク「わざとこの人はやっていたんだ。つじつまが合ったので、この人怖いです」
[選手としての荻村伊智朗]ストイシズムという点では卓球界において空前絶後の人だった
卓球王国2015年2月号掲載 <久保彰太郎(荻村伊智朗の現役時代からの親友)> 荻村伊智朗没後30年
Text by
久保彰太郎Syotaro Kubo
異端の人物だった。人がやらないことをやり続け、並外れた克己心(こっきしん)を持っていた
私が荻村伊智朗に会ったのは昭和25年(1950年)の秋だった。
東京の吉祥寺にあった武蔵野卓球場。小さな卓球場に3台置いてあり、私の隣に座っていた少年が立ち上がって、中央のコートで打ち始めた。少年のフォームは完全に美しかった。それが都立西高3年生の、荻村伊智朗との出会いだった。
静岡県伊東市に生まれ、幼くして父を亡くした荻村は小学2年の時に東京の三鷹市に移り住んだ。幼年時代からの彼の楽しみのひとつは本を読むことで、そのせいか芸術的感性において彼は早熟だった。のちにロンドンで世界チャンピオンになった後にパリに立ち寄った際、わずかな自由時間にひとりでルーブル美術館を訪れるなど、ほかのスポーツマンには見られない何か異質なものを彼は秘めていた。ちなみに青年・荻村の愛読書はニーチェの主著のひとつ『超人』だった。