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[国際卓球連盟会長としての荻村伊智朗]卓球の価値を高めたい、スポーツの価値を高めたいという強い思い
卓球王国2015年2月号掲載 <木村興治(世界選手権金メダリスト・元国際卓球連盟副会長)> 荻村伊智朗没後30年
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木村興治Koji Kimura
「ITTF会長はお飾りじゃないんだ。自分で体を張ってアイデアを出して実行していく。それは、ほかの競技でもやっているんだ」
荻村伊智朗さんを語るとすればは特筆すべき点が3つあると考えている。
まずひとつ目は、1987年に国際卓球連盟(ITTF)の会長に就任したこと。1988年のソウル五輪の前年だった。その競技の最高実績を持つ人、つまり世界チャンピオンがリーダーになったことは大きな意義があるし、大きな影響を与えた。
五輪種目になるのが決まっていた卓球だが、荻村さんもITTFの動きにもどかしい気持ちを持っていたから、会長に立候補したのだろう。1987年のITTF会長選は、ITTFとして初の会長選挙となった。場所は世界選手権大会期間中のニューデリーだった。毎朝、荻村さんのホテルの部屋で会長選に向けてミーティングをして、『ITTF会長の役割についての私の考え』というタイトルのリーフレットを作成、配布するという活動もした。選挙前の票読みでも十分いけると手応えをつかみ、圧勝して三代目の会長に就任した。