百年の茅台酒が語る秘話③
〜松﨑キミ代と周恩来の友情〜
1963年世界選手権プラハ大会の女子シングルスで、
2回目の優勝を飾った後、現役を引退した松﨑キミ代。
胸の日の丸を外した後も、中国の周恩来総理との交流は続いた。
表裏のない深い友情を示す周総理の思いに応えるように、
松﨑は1本の茅台酒を、我が子のように大切に守り続けた。
文=李永亮 text by Nagasuke Li(アジア芸術文化協会 理事長)
翻訳=古屋順子 translation by Junko Furuya
写真提供=松﨑キミ代 photo courtesy of Kimiyo Matsuzaki
茅台酒に結ばれていた赤いリボンは
まさに友好を結ぶものだった
1962年10月、北京の西山の紅葉が色づき始めるころ、日本の卓球チームは再び北京を訪れた。周恩来総理の提案に応じて、毎年交代で卓球の中日親善交流試合(日中交歓大会)を行うためである。小さな白い球には間違いなく不思議な力があり、ゆっくりと、だが確実に巨大な球を動かしつつあった。国家体育運動委員会のトレーニング拠点にさっそうとやって来た周総理は、にこやかに言葉を交わし、かつて傷めた右手で日本の選手一人ひとりと握手をした。
松﨑キミ代はすかさず周総理に歩み寄った。その日、彼女の面持ちはいささか緊張気味で、不安を抱えていた。というのも、茅台酒へのお礼として周総理にささやかなプレゼントを贈ろうとしていたからだ。それはピンポン球をかたどったバッジで、手前には満開の桜、その向こうには真っ白な雪をまとった富士山が描かれている。すっきりとした構図に深い意味があるものだ。松﨑が大事にしてきた宝物で、12歳のときに日本青少年卓球大会で獲得した記念バッジだった。