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【People】和田圭輔[中国電力ライシスコーチ] 天国にいる先輩コーチへの恩返し
卓球王国2025年2月号掲載(文中敬称略)
今季にグランドスラムを達成し、実業団最強チームとなった中国電力ライシス(広島)。その躍進の陰にコーチの和田圭輔の存在がある。
■Profile わだ・けいすけ 1989年6月23日生まれ、岐阜県岐阜市出身。小学3年から卓球を始め、明徳義塾中・高から愛知工業大に進学。大学卒業後は信号器材に入社して日本リーグにも出場。現役引退後、2017年4月から中国電力卓球部(当時)のコーチに就任。伊藤春美監督との二人三脚の指導により、中国電力ライシスを実業団のトップチームに導いている
仕事と卓球を両立しながらも、
頭の中では選手としてトップを目指すことへの限界も感じていた。
コーチ兼トレーナーとして中国電力卓球部に採用される
和田圭輔にとって、卓球との出合いは必然だった。 「両親とも卓球をやっていて、母(温子/旧姓山崎)は第一勧業銀行や十六銀行でプレーして、全日本では女子ダブルスで決勝まで行ったそうです」(和田) 幼少時から母が指導する兄の練習について行っていた記憶はあるが、和田が「ぼくも卓球をやってみたい」と言ったのは小学3年の時だった。翌年に出場した全日本選手権カブの部でベスト8入りしたが、「小学生時代の成績はそれが最高で、地元の公立中学に入学しました」。 転機となったのは明徳義塾中・高(高知)の佐藤建剛監督からの勧誘だった。「思春期で親元を離れたいという気持ちもありましたし、一度明徳に練習に行って全寮制でみんなでワイワイ話した雰囲気も良くて、高知行きに迷いはありませんでした」と和田は振り返る。 明徳義塾中・高での5年間で「礼儀と感謝の気持ち」を教わり、人間的に成長できたと言う。技術的な部分では、元中国NT(ナショナルチーム)の選手だった佐藤監督から中国卓球に基づいた基本打法を教わったことで、後に指導者になってから大いに役立ったと言う。 大学は愛知工業大に進学。同期には水谷隼、松平賢二、笠原弘光、御内健太郎など強い選手がたくさんいて、「なんとか彼らに食らいつきたいと頑張りましたが、雲の上の存在でしたね。一緒に飲んだ時は負けなかったですが」と笑う。それでも大学3・4年時でインカレでベスト4入りを果たし、充実した生活を過ごした。 卒業後は「日本リーグでプレーしたい」という子どもの頃からの夢で信号器材に入社。日本リーグでは1部と2部を行ったり来たりしていたが、1部で一度だけ協和キリンに勝った試合が思い出に残っているという。「飯野弘義と組んだダブルスで、(松平)賢二と上田(仁)のペアに勝つことができた。彼らに勝てるなんて思っていなくて、うれしかったですね」。 しかし、仕事と卓球を両立しながらも、頭の中では選手としてトップを目指すことへの限界も感じていたとう。 「ちょうどそのタイミングで結婚も考えていて、結婚を機に中国電力でプレーしていた妻・美紀(旧姓・圡田)との縁もあり、中国電力のコーチ兼トレーナーとして採用してもらいました」 指導者としての経験がなかった和田に手を差し伸べたのは、中国電力で約20年間コーチを務めていた肖健成(2020年に病気で他界)だ。 「肖さんは中国NTとの関係も深く、最新の指導法を間近で勉強させてもらっていました。練習場ではいつもメモを取っていて、何を書いているのか尋ねると、『選手がどんなことでミスしたのかを記している』と言っていました。その後のゲーム練習で、メモの数字とミスの回数が重なっていてびっくりしたのですが、技術も戦術も数字で確証を持って説明してくれたので、わかりやすかったです」 今季の中国電力ライシスは、日本リーグ前・後期、全日本実業団、全日本団体で優勝し、年間グランドスラムまであとひとつに迫っていた。 和田への取材はグランドスラムをかけたJTTLファイナル4の前に行っていたが、ファイナル4を制した中国電力は、見事グランドスラムを達成した。 「天国の肖さんに、少しは恩返しができたかな」。晴れやかな冬の空を見上げて和田はそうつぶやいた。