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【セカンドキャリア】大柿友彦「選手時代も今の仕事でも、自分の根底にあるのは『誰かのために』という思いですね」

[インターハイ準優勝・旭化成ファーマ]

卓球王国2025年4月号掲載 vol.21

愛工大附属中時代に全国中学校大会で優勝し、愛工大名電高では2年連続でインターハイ準優勝。名門校のエースとして活躍した大柿友彦は、専修大卒業と同時にラケットを置き、第一線を退いた。「卓球をやめて普通に仕事をするのは自然なことだった」という大柿は今、「MR(医薬情報担当者)」として勤務。卓球選手として培った体力とハートの強さを生かし、バリバリ仕事をこなす日々を送っている。

Text by

柳澤太朗Taro Yanagisawa

[おおがき・ともひこ]
1980年12月8日生まれ、栃木県出身。小学1年時から城山卓球クラブで卓球を始め、全日本カブ・ホープスでベスト8。愛工大附属中に進学後、3年時に全国中学校大会優勝、愛工大名電高2・3年時にはインターハイ準優勝。専修大を卒業後、社会人生活を経て新潟産業大附属高の教員として3年間勤務し、卓球部監督を務めた。28歳で旭化成ファーマ株式会社に入社し、現在は医薬千葉支店・千葉第1営業所の所長を務める

仕事でのプレゼンでは緊張したり、動じたりすることはないですね。全国大会の決勝という大舞台での経験が生きています

「消えた天才」と言う人もいるかもしれない。高校時代に同世代のトップランナーとして頭角を現し、NT(ナショナルチーム)の合宿に招集され、国際大会にも出場していた大柿友彦。当時、貴重なシェークの若手と言われた男は、今では医薬品メーカーの敏腕所長。卓球に頼らない自主自立の道を歩み、セカンドキャリアを積み上げてきた。

◇◇

ぼくは3姉弟の末っ子で、小学1年の時に姉と兄が入っていた栃木の城山卓球クラブで卓球を始めました。姉も兄もペンホルダーで、お下がりでぼくにペンラケットが回ってきたので、小学4年まではペン表。全日本カブはベスト8でしたが、ショートが苦手だったので小学4年の冬にシェークに変えて、小学6年の全国ホープス(男子)で城山卓球クラブが初出場・初優勝した時のメンバーになりました。

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