
[偉関晴光&絹子]来日して34年、世界を極めた男とその妻が中国と日本を語る
卓球王国PLUS独占インタビュー Vol.1
日本に来てから34年が経った。
1980年代から90年にかけて、多くの中国選手が来日し、定住した人もいれば、中国に帰った人もいる。
世界大会・五輪ダブルス金メダリスト、アジア競技大会金メダリストの韋晴光が妻の石小娟とともに来日したのは1991年。その後の波乱万丈の人生を振り返る。
日本に帰化し、偉関晴光、絹子として卓球コーチとして第二の卓球人生を歩んでいる二人に中国と日本での卓球人生とは何だったのかを問うてみた。

interview by
[いせき・せいこう]
1962年7月2日生まれ。中国・広西省出身。中国名は韋晴光。87年世界選手権、88年ソウル五輪男子ダブルス優勝。91年に来日し、寿屋(ラララ・熊本)に所属。97年に帰化し、平成9年度(97年)全日本選手権で初優勝。全日本選手権は通算4度の優勝。日本代表として98年アジア選手権シングルス準優勝、2000年世界選手権団体銅メダル、2000年シドニー五輪出場。2007年、45歳で現役を引退し、JOCエリートアカデミーのコーチを経て、林昀儒(チャイニーズタイペイ)の専任コーチ、世界選手権、パリ五輪ではチャイニーズタイペイの男子監督を務めた
[いせき・きぬこ]
1965年10月31日生まれ、中国・広西桂林出身。中国名:石小娟。上海華東理工大学卒業。日本スポーツ協会公認コーチ。12歳から広西卓球チームに所属し、そこで偉関晴光と知り合い、1988年に結婚。夫が日本の実業団と契約を結んだのを機に来日し、1993年に息子・展嘉を出産、1997年に日本国籍を取得。1998年の平成10年度全日本選手権では混合複で優勝を果たす。2002年に上京、2009年に偉関TTLを開業。現在も多くの子どもたちを指導し、2018年全日本選手権男子カブの部、2019年全日本クラブ選手権(男子小・中学生の部)では監督として選手・チームを優勝に導いた。月刊「卓球王国」でビギナー向け技術連載『よーいドン! 卓球』を監修

当時、ぼくは「海外を一度見てみよう」という気持ちで、中国卓球協会も「行ってらっしゃい」と外に出ることを歓迎していました
●─1991年、世界選手権千葉大会後の5月に来日しましたね。
偉関晴光(以下、晴光) 千葉大会からそのまま日本にいました。あの時はもう寿屋(のちのラララ)と契約していました。契約の日は5月25日、覚えています。
偉関絹子(以下、絹子) 私はあまり計画性がないんですよ。今の卓球場(東京・北区)も、全く計画していなかったし。日本に来るのも漠然と決まった感じでした。外国には行ってみたいと思っていましたが、当時の中国では外国に出るのは難しい時代。だから「どこでもいいから行ってみたいな」と。最初はイタリアに行くという話もありました。