
【アーカイブ・カルデラノ】「オリンピックでは何が起こるかわからないし、何でも起こり得る場所なんだ」
卓球王国2021年7月号掲載[ウーゴ・カルデラノインタビュー]
世界ランキング7位のウーゴ・カルデラノ。
類まれな身体能力と、強靭なメンタルを持つ24歳。
スカイサービスと台上チキータ、そして両ハンドから放たれる強烈なトップスピン。
見る人を惹きつける世界卓球界の至宝である。
東京五輪まで3カ月を切り、メダル候補は東京に向けての最終態勢に入った。
ウーゴ・カルデラノ CALDERANO, Hugo
1996年6月22日、ブラジルのリオデジャネイロ生まれ。18歳でドイツのマスターカレッジで練習を始め、ブンデスリーガの『オクセンハウゼン』でプレー。2016年リオ五輪ベスト16、2019年パンアメリカンチャンピオン、世界ランキング7位(2021年5月当時)
PHOTO:レミー・グロス
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「自分のレベルを上げていくことを心がけた。
そのために練習では具体的でより緻密な目標を設定するようにしたんだ」
新型コロナウイルス発生前の2019年9月、日本に武者修行のために降り立ったウーゴ・カルデラノ。ブンデスリーガの試合の合間に、日本のナショナルチームの練習に参加したのだ。8月のパンアメリカン(南北アメリカ)選手権で優勝して、五輪出場の資格を得た直後だった。
その時点で世界ランキング6位まで上り詰めていたカルデラノ。南米の選手としては史上最高位のランキング。南米での卓球の環境を考えれば、これは奇跡に近い。南米で最も卓球の強いブラジルだが、国内で世界的レベルの選手を育成するのは難しく、ある程度の年齢になると、スウェーデンやドイツのプロリーグで腕を磨き、生活していくのが常だった。
カルデラノが卓球を始めたのは9歳と遅い。12歳までは卓球とバレーボールの二足のわらじを履き、時に陸上競技大会にも駆り出されるほどの身体能力を持ち、13歳までは走り幅跳びのリオのチャンピオンだった。
13歳から本格的に卓球をやるようになるが、1回2時間の練習を週に4、5回程度だった。14歳の時に現在のコーチ、ジャン-ロネ・モウニー(フランス)と出会い、モウニーの勧めでサンパウロに移り、その2年後にはフランスのINSEP(ナショナルトレーニングセンター)で練習するようになる。さらに18歳からはドイツの『オクセンハウゼン』にあるLMC(リープヘル・マスターカレッジ)で訓練を重ね、そのまま『オクセンハウゼン』でプレーを続けてきた。
2016年のリオ五輪は故郷での試合となったが、当時世界50位だったカルデラノはその五輪でメダルを獲得した水谷隼と大接戦を演じた。その後、ワールドツアー・グランドファイナルで樊振東(中国)に勝つなど躍進を続け、世界のトップ10入りを果たした。
来シーズンからはロシアリーグに参戦し、オフチャロフ(ドイツ)や林昀儒(チャイニーズタイペイ)とともに『オレンブルク』でプレーする。東京五輪では有力なメダル候補のひとりである。
今回、コーチのモウニーにリモートインタビューを依頼。すぐにカルデラノは快諾してくれた。5月1日、ドイツの昼過ぎにインタビューは始まった。
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●─前回のインタビュー(2019年9月)が1年半前だった。その後、パンデミック(世界的大流行)になってしまったけど、去年のカタールオープン以降どのように過ごしていたんだろう?
カルデラノ パンデミックでみんな大変な時期を過ごしているし、ぼくの練習や自分のメンタルにも影響を与えている。特に故郷のブラジルには2019年以来帰ることができないし、家族とも長く会っていないのは辛いよね。ただ、ドイツでは練習ができているし、ブンデスリーガもやっていたし、ITTF(国際卓球連盟)もいくつかの大会を開催していたので、ぼくは不満を言うつもりはない。