
[アーカイブ]「石川佳純」という生き方。彼女のヒストリー
卓球王国2020年10月号より
日本を代表するスーパースター・石川佳純。
世界選手権での混合ダブルス優勝や、ロンドンとリオの五輪団体でメダルを獲得した。
そして目指した東京五輪。2019年、世界で最も熾烈な代表レースと言われた平野美宇との争い。
12月の北米オープンの決勝で二人は対峙し、石川が勝ち、その後のグランドファイナルで東京五輪のシングルス代表を決めた。
新型コロナウイルス感染症拡大の中、東京五輪が延期され、来年の開催も不確定の中で、石川は代表レースをどう振り返り、どこへ向かっているのだろうか。

Text by
●いしかわかすみ
1993年2月23日生まれ、山口県出身。四天王寺高校卒。全日本選手権で4度の優勝、世界選手権では団体で5個のメダル、混合ダブルスで3個のメダル、2017年世界選手権混合ダブルス優勝。12年ロンドン五輪団体銀メダル、16年リオ五輪団体銅メダル獲得。2020年8月時、世界ランキング9位、全農所属
代表を決めても、石川は喜びの表情も、はしゃぐ素振りも全く見せなかった。それは激しく争った平野への敬意と気遣いだったのだろう
石川佳純という稀代の名選手のその軌跡を、卓球王国でのインタビューでなぞってみよう。
1993年2月23日、山口県で生まれ、石川は「両親が卓球をやっていて、気がついたらラケットを握っていた」。小学2年の全日本ホカバ(ホープス・カブ・バンビの部)のバンビでベスト64、カブは32、5年生のホープスはベスト8で、全国優勝は6年生の時のホープスが初めて。「卓球以外では水泳とピアノ。いろんなことをやりたかった。クラシックバレエも2年生から1年半やっていました。3年生くらいから卓球が中心で、小さい頃から試合が好きでした」(2007年5月号)。小さい頃は外で遊ぶのも好きで、卓球一色の生活ではなかった。小学6年生まで全国優勝がなかったのはそういう理由だろう。