日本型のクラブスポーツの意味、そして肥大化する全国大会を考える

日本型のクラブスポーツの意味、そして肥大化する全国大会を考える
卓球王国PLUS独占記事「今野の目」

Text by
今野昇Noboru Konno
協会は長い年月の中で、自らの首を絞めてきたことに気づくべきである
1982年(昭和57年)の第1回全日本クラブ選手権を取材している。そして今回、栃木県で開催されたクラブ選手権は2日間ほど取材した。
1982年頃に、日本卓球協会は全日本選手権ホープスの部(1981年、のちにカブとバンビを増設)、全国ホープス大会(1982年)と、全国規模の大会を相次いで新設した。
当時、専務理事だった荻村伊智朗の「クラブ選手権創設」の狙いは明確だった。スウェーデンでのコーチ経験を通して、ヨーロッパ型のクラブチームの素晴らしさを目の当たりにしていたからだ。
地域に根ざしたクラブには老若男女が集い、メンバー自身が自主運営していく。荻村が深い関わりを持ったスウェーデンの「ファルケンベリ」は、人口3万人弱の小さな町にありながら、100年を超す歴史を持つクラブだ。このクラブからはステラン・ベンクソン、U.カールソン、エリック・リンド、P.カールソンといった世界チャンピオンが生まれている。