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【アーカイブ/Another Story】井藤博和/2度の悲劇にも前を向く。あきらめの悪い男の卓球観

卓球王国2021年3月号掲載[アナザー・ストーリー/井藤博和]

[Another Story 疾走するアスリートたち]井藤博和(ろうあ者卓球日本代表)

いとう・ひろかず
1985年8月15日生まれ、鳥取県出身。箕蚊屋中学で卓球を始め、米子東高校時代に学校対抗で2度中国大会に出場。
2015年アジア太平洋ろう者競技大会男子団体で銅メダルを獲得。2017・2018年度全国ろうあ者選手権男子シングルス2連覇。
2019年アジア太平洋ろう者競技大会、2020年世界ろう者選手権日本代表。左ペン表速攻型。株式会社オークネット勤務

Text by

浅野敬純Takazumi Asano

色が変わるまで繰り返した壁打ち
達成感と悔しさ半々の高校時代

 羽田空港の展望デッキで、その男は泣いていた。男の名は井藤博和。34歳にして4年ぶりにつかんだ国際大会出場の夢は、無情にも打ち砕かれた。
 鳥取県の西部、米子市に周囲をぐるっと囲まれた日吉津村で井藤は生まれた。聴覚の障がいは先天性のものだが、特別支援学校ではなく、補聴器を装用して小・中・高と普通学校に通った。
 兄の影響で小学生時代はサッカーチームに所属。しかし、中学では卓球部を選んだ。理由はふたつ。サッカーでは補聴器が接触プレーで破損したり、雨で濡れてしまう懸念があったこと。また、もうひとりの兄が中学で卓球部に所属しており、時々、家のテーブルを卓球台代わりにして「ピンポン」で遊んだのが楽しかったことも、井藤が卓球を選んだ理由だった。
 井藤が卓球にのめり込むのに時間はかからなかった。中学校の体育館が使える日は週に3、4日程度。それでも、体育館が使えない日には同級生を誘って公民館で練習し、家での日課は壁打ち。毎日繰り返し壁にボールを打ち付けたせいで、壁の一部分だけ色が変わってしまい、母親から壁打ち禁止令が出された。それでも井藤は壁にテーブルを立てかけ、そこにしか打たないという条件で壁打ちをさせてもらった。

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