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[ようこそ卓球地獄へ/アメリカン卓球ライフ]ラスベガスでの出会い 

卓球王国ブックス「ようこそ卓球地獄へ」<第4章 アメリカン卓球ライフ>より <その43>

 
Text & Illustration by
伊藤条太Jota Ito

その老人は「おお、キミが世界チャンピオンのイトウか」と笑った

 帰任する直前、アメリカ生活の記念にラスベガス観光に行ったのだが、そのついでにネットで見つけた『ラスベガス・テーブル・テニス』というクラブにも行った。一大観光地であるラスベガスにも、ちゃんと地元の卓球好きのためのクラブがあるところが嬉しい。

 さっそくインド人っぽい青年と試合をし、3─1で勝った。ラスベガスで卓球をするという実績を作ったので、もう止めようかなと思って座って休んでいると、ひとりの老人が声をかけてきた。「マイ・ネーム・イズ・イトウ」と挨拶をすると、その老人は「おお、キミが世界チャンピオンのイトウか」と笑った。アメリカ人のくせに伊藤繁雄を知っているとはなかなかのマニアだ。

 私が「1969年ミュンヘン大会ですね」と言って自分も詳しいことを示すと、彼は「その決勝、どういう内容だったか知ってるか」と私のマニア度を測るかのように聞いてきた。私はここぞとばかり「シェラーに0─2でリードされていて、3ゲーム目から別人のようになって逆転したんでしょう」と言った。田舛彦介著『卓球は血と魂だ』(卓球レポート編集部)の一節だ(さすがに「ゲームの合間にビタミン剤でも打ったのかと欧州勢から疑われるほど」という余計な描写は話がややこしくなるので割愛した)。すると彼はさらに詳しく「3ゲーム目の19─19からのシェラーの難しいボールを、イトウはそれまで攻撃していたのを丁寧につないだんだ。そのときシェラーの顔つきが変わり、そこから逆転したんだ」と言った。「よくそんなこと知ってますね」と感心すると、なんと彼はその試合を現場で見たと言う。よくドイツまで行ったものだと思っていると彼は「だって俺、試合に出てたんだもん」と続けた。

 なななな、なんと、アメリカの元代表選手だったのだ。私はすっかり興奮し「じゃあ、1971年名古屋大会でのピンポン外交のことを知ってますか」と聞くと「ああ、中国に試合しに行ったよ」と言うではないか。どひゃあああっ! この人は歴史上の選手だったのだ。マニアではなくて本物だったのだっ!

『ピンポン外交』、その事件の当事者がまさかラスベガスの卓球場でフラフラしていようとは

 ジャク・ハワード76歳(2010年当時)。中国とアメリカの国交正常化のきっかけとなった、今や歴史の教科書にも載ろうかという『ピンポン外交』、その事件の当事者がまさかラスベガスの卓球場でフラフラしていようとは。もう卓球をするどころではない。「ぜひお話を聞かせてください」とお願いをしたのだった。

 ここで聞いた話は、まさに珠玉のような話だった。なにしろこの人、伝説の日本最強選手・藤井則和対ディック・マイルズの試合を見たというのだから驚く。ホントかよ。ほとんど神話のような話である。さらに、スポンジラバーのサトー(佐藤博治)、一枚ラバーのトミタ(富田芳雄)が素晴らしかっただのと「古いにもほどがある」話の連続である。フクシマ(福島萬治)がシフのフィンガースピンサービスを難なく返し、逆にサービスエースを取ったという話も初めて聞いた。

 私が狂喜していると、さらにエロールとレイという、ジャックより少し若そうな二人が現れて会話に加わった。後で調べると、どちらも元アメリカ代表選手だった。これではまるで、町の卓球場に行ったら古川敏明と田阪登紀夫と仲村渠功がいたようなものではないか(有り得なくもないところが怖い)。

 この二人、さすがに藤井対マイルズの話こそしなかったが、オギムラとタナカの四度にわたる世界チャンピオン争いや、“荘則棟に3回勝ったタカハシ(高橋浩)”の話など「お前ら、卓球レポート読んでただろ?」と言いたくなるような話をまくし立てた。

 レイの語りは特に熱く、イトウとハセガワ(長谷川信彦)は全身の筋肉が物凄かったし、コーノ(河野満)の卓球はまるでプロフェッサー(教授)のようで「あんな卓球を見せられてどうしてファンにならないでいられる?」と語った。日本選手たちは中国選手より格好よく、アメリカの選手たちはみんな憧れていたのだと言う。

 昔の日本選手の偉大さについてはこれまでも見聞きしていたが、往々にしてそういう話には、卓球の進化を無視したようなたわ言や「今の選手は」という説教が混じるため、どうにも素直に受け取れなかった。そういうノイズの入らない純粋な賞賛を外から聞かされると印象はまったく違ったものになる。

 何の期待もせずに行ったラスベガスの卓球クラブだったが、意外にもそこで私が出会ったのは、昔の日本選手たちの偉大さであり、同胞として誇らしい気持ちにならずにはいられなかった。

●卓球界に衝撃を与えた抱腹絶倒の連載コラム「奇天烈逆も〜ション」を編纂した「ようこそ卓球地獄へ」(2014年発刊)からの掲載です

■Profile いとう・じょうた

1964年岩手県生まれ。中学1年からペン表ソフトで卓球を始め、高校時代に男子シングルスで県ベスト8。大学時代、村上力氏に影響を受け裏ソフト+アンチのペン異質反転ロビング型に転向しさんざんな目に遭う。家電メーカーに就職後、ワルドナーにあこがれシェークに転向するが、5年かけてもドライブができず断念し両面表ソフトとなる。このころから情熱が余りはじめ卓球本を収集したり卓球協会や卓球雑誌に手紙を送りつけたりするようになる。卓球本収集がきっかけで2004年から月刊誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。世界選手権の[裏]現地リポート、DVD『ザ・ファイナル』の監督なども担当。中学生の指導をする都合から再びシェーク裏裏となり少しずつドライブができるようになる。2017年末に家電メーカーを退職し卓球普及活動にいそしむ。著書に『ようこそ卓球地獄へ』『卓球天国の扉』がある。仙台市在住。

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