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【People】髙森勅尊「荒波に負けない、強く優しい心を育てたい」

卓球王国2025年11月号掲載
文=永尾垣 text by En Nagao

 福岡県北九州市にある「髙森卓球場」。代表の髙森勅尊は、卓球を通じ、逆境に負けない強い心とたくましい人間力を育む指導で子どもたちを支えている。

 熊本県出身の髙森が、卓球を始めたのは中学1年の時。卓球をしていた姉と兄の影響で自然とラケットを握った。

 第一工業高(現・開新高)でも卓球を続け、「どうにか新聞に載るくらい頑張らんと、親に合わせる顔がない」と必死に練習を重ねた。入学当初は一番下手だったという髙森だが、卒業時にはキャプテンでエースを任されるまでに成長した。

 卒業後は福岡の新日本製鐵八幡製鐵所(現・日本製鉄㈱九州製鉄所)に卓球で入社。実業団選手としてプレーし、1978年に結婚。3人の子どもに恵まれ、子どもたちもそろって卓球を始めた。八幡製鐵所の綾部稔監督が運営する綾部卓球場に子どもたちを通わせ、家庭と仕事、そして卓球に明け暮れる日々を過ごした。

 その後、長男・勅真は高校卒業後、新日本製鐵㈱八幡製鐵所へ入社。次男・英郎は東山高から筑波大、長女・夕布も白鵬女子高と名門校へ進学。子どもたちが独り立ちし、時間にゆとりができた髙森は、後輩の誘いで2003年から指導の道へ。「I・T塾」として8年間指導を続けたのち、11年に綾部卓球場を引き継ぎ、「髙森卓球場」として再スタートを切った。当時、東信電気でプレーしていた夕布も実家に戻り、指導に加わった。その後、20年に夕布が嫁いだのを機に、勅真が後を引き継ぎ、現在に至る。

 かつて、髙森の指導は凄まじかった。「昔は折りたたみ椅子を投げたり、蹴りも当たり前だったって、息子が言うんです。私は覚えていないけど(笑)」。今は鉄拳制裁こそないものの、練習量は依然として多く、指導の厳しさは変わらない。それは子どもたちの将来を思ってのことで、髙森の譲れない指導方針だ。

 「家庭でも学校でも守られて、高校、大学を卒業して社会に出た途端、急にひとりになる。その時には周りは助けてくれない。社会は厳しい。お金をもらうプロだから。その荒波に耐え切れず、会社を転々とする子も出てくるんじゃないかと心配している」

 髙森卓球場が最も重視するのは、子どもたちの「心」を育てることだ。社会に出て逆境に立たされても挫けず、前を向ける「強い心」を養うこと。そのためには、たとえ指導が厳しいと言われてもその信念を揺るがせにはできない。

 「卓球を強くすることも大事なんですけど、それだけじゃなくて、卓球というスポーツを通じて、荒波に負けない強い心を育てたい。仲間と協力できる優しい子に育てたいと思っているんです」

 そして今、その信念は長男の勅真に引き継がれている。

 人間形成を重視する一方で、髙森卓球場は全国で活躍する選手を数多く輩出し、競争の激しい九州地区でも全九州大会小学生の部で優勝を果たすなどの成果を挙げてきた。髙森は卓球場を単なる練習の場ではなく、「人間力と競技力をともに育む拠点」だと語る。

髙森卓球場で腕を磨く内橋は開催地枠で出場した全中シングルスで1勝を挙げた


 少子化で競技人口が減る中、「これからは普及にも力を入れていきたい」と語る髙森。

「今までは競技力向上とか、予選通過してランク入るぞ!って言っていたけど、それはもう息子に任せて、私は卓球の普及のほうに回りたい。どうやったら小さい子が卓球をしたいと思うのか、考えている最近です」(文中敬称略)

■ PROFILE たかもり・ときたか
1955年9月5日生まれ、熊本県出身。中学から卓球を始め、第一工業高、新日鐵八幡(現・日本製鉄㈱九州製鉄所)でプレー。八幡製鉄所の綾部稔監督から卓球場を引き継ぎ、2011年に「髙森卓球場」として再出発。人格形成を重視した指導で、これまでに200人の教え子を送り出した。孫は顕大(朝日大)、愛央(四天王寺高)、健太(愛工大名電中)