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【セカンドキャリア】小泉慶秀己「現役時代はひとりで悩んでいた。子どもたちがつまずいた時に、解決の道を示してあげたい」

[全日本選手権混合ダブルス優勝・マイダス監督]

卓球王国2025年11月号掲載 vol.25

全日本ジュニア2位、日産自動車時代には全日本選手権の混合ダブルスで優勝した小泉慶秀己(当時は純彦)。秋田での生活を経て、現在は千葉の馬橋で「マイダス卓球スタジオ」を経営。妹の晶子とともに指導にあたり、チームでの全国優勝のみならず、全日本ホカバでも活躍する子どもたちを育成している。今も、農業は続け、春と秋には秋田に戻り、東京ドームと同じ広さの田んぼの田植えと刈り入れを行っている。

Text by

今野昇Noboru Konno

[こいずみ・よしひこ]
1968年1月12日生まれ、神奈川県出身。相模工大附属高(現・湘南工大附属高)時代に全日本ジュニア準優勝。大正大から日産自動車に入社し、1990年全日本選手権ダブルス準優勝、1994年全日本選手権・混合ダブルス優勝。2008年よりマイダスのコーチに就任し、23年の全国ホープス大会で優勝。23年からは「マイダス卓球スタジオ」を経営、子どもたちの指導を行う

秋の収穫時に秋田に戻り、トラクターで刈り取りを行う小泉。現役時代は華麗なフットワークと両ハンドプレーで活躍

卓球経験のない家庭の子を全国大会にまで引き上げたいという気持ちも強くありました

 小学4年で地元・茅ヶ崎(神奈川)にあったクラブで近所の子どもたちと一緒に卓球を始めた小泉慶秀己。全日本実業団選手権に出場していた父から指導を受け、中学3年で全国中学校大会のシングルスに出場するも、初戦で敗退。

 高校は全国的にも強豪だった相模工大附属高(現・湘南工大附属高)に進学し、全日本ジュニア準優勝。大正大を卒業後、日産自動車に入社。全日本選手権では1990年男子ダブルス準優勝、1994年混合ダブルス優勝と実績を残した。

◇◇

当時の日産自動車は本当に強かったですね。日本リーグでも実業団でも何度も優勝していました。卓球部には6年間在籍しました。現役を引退してからは会社に残り、日産ではトータル10年間、人事部で働きました。退職後は妻の実家のある秋田県横手市へ移り、親戚が経営していたホテルや飲食業で総務として勤務し、農業の手伝いもしました。

秋田にいた頃も、どこか自分のエネルギーを持て余していて、ボランティアで子どもたちに卓球を教えたりもしましたが、気持ちは満たされず悶々(もんもん)としていました。そんな時、妹(晶子)がアルバイトでコーチをしていたマイダス(東京・葛飾)が新しい指導者を探していると聞き、単身で東京に行くことを決意しました。秋田と東京を往復しながらの生活を経て、1年後には東京を拠点に指導を始めました。2008年にマイダスのコーチとなってから、もう17年になりますね。

選手時代は自分が指導者になるとは思ってもいなかったので、コーチを始めた頃は手探りでした。動画もない時代でしたから、本を読んで勉強しました。

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