全中やインターハイを二つのカテゴリーに分けてはどうだろうか。環境の差が大きすぎるから。

張本智和 「横浜の真実」(前編)
卓球王国2025年11月号掲載
世界選手権ドーハ大会で敗北に打ちのめされた張本智和は初めて“立ち止まる”ことを選んだ。 揺れる心の奥で、勝利への炎は消えることなく、再び燃え上がっていく。 横浜で見せた覚悟の勝利。その裏に隠された、知られざる真実とは。
Interview by
中川 学Manabu Nakagawa

はりもと・ともかず 2003年6月27日生まれ、宮城県出身。元中国ナショナルチームの両親の影響で2歳から卓球を始め、全日本選手権のバンビ・カブ・ホープスで6連覇を達成。13歳で世界選手権シングルスでベスト8入りし、14歳で史上最年少の全日本チャンピオンになるなど、国内外で数々の最年少記録を更新。東京五輪の男子団体では銅メダルを獲得。WTTチャンピオンズ横浜で、自身2度目のチャンピオンズ王者となった。世界ランキング3位(9月9日現在)。トヨタ自動車所属
走り続けることも大切だけど、それで目標が達成できなかったのなら
少し休んでみるのもいいのではないかと感じた
WTTチャンピオンズ横浜での劇的な優勝から休む間もなく、スウェーデンで開催されたヨーロッパスマッシュに出場した張本智和。 帰国後もTリーグ、そしてイベントと、多忙なスケジュールが続く中、時間を割いてインタビューに応じてくれた。
●――5月の世界選手権ドーハ大会から8月のWTTチャンピオンズ横浜までのパフォーマンスについてはどのように感じていますか? 張本智和(以下・智和) ドーハでメダルを獲得できずに終わって、自分の卓球に対する考え方を180度変えました。もちろん練習は大事だし、努力は必要だけど、休む割合を増やしてもいいのかなと。ドーハが終わって10日間はラケットを握らなかった。世界選手権の同士討ち(戸上隼輔戦)での敗戦はメンタル的にもきつかったし、正直、すぐには練習をする気持ちになれなかったですね。 6月のリュブリャナ(WTTスターコンテンダー)の時は、まだ気持ち的に完全に回復していなくて、試合をしながら少しずつ戻していけるように努めていましたが、また戸上選手に負けてしまった。次の大会のザグレブ(WTTコンテンダー)では60%くらい戻ってきて、再び戸上選手との対戦が決まった時は、「さすがに3連敗はできない」と、そこからエンジンがかかっていった感じでした。