ドイツのジョー、横谷晟「孤独感はあります。それは強くなるための犠牲として必要なこと」
卓球王国PLUS独占インタビュー<横谷晟インタビュー>
2022年の世界選手権・成都大会で日本代表の座をつかんだ横谷晟。出場機会は少なかったが、彼はそのときの感動を今も忘れていない。
それゆえ、大学卒業後の進路を「プロとして世界を目指す」という方向に定めた。行動の第一歩として選んだのが、ドイツのブンデスリーガだった。2025年10月時点では、4勝3敗と勝ち越して健闘している。一時帰国して日本に戻った横谷に話を聞いた。

【よこたに・じょう】
2002年5月1日生まれ、岐阜県出身。父の影響で3歳から卓球を始め、全日本バンビ・カブで3位。愛工大名電中・高に進み、全中と全日本ジュニアで3位、愛知工業大に進学した2021年の全日学でも3位に入賞。3月に行われたLION CUP TOP32で3位となり、2022年世界選手権成都大会日本代表。2025年3月に愛知工業大を卒業し、4月からプロ選手となり、ミズノのアドバイザリースタッフ。現在、ドイツのブンデスリーガ1部リーグ「バート・ホンブルク」に所属。世界ランキング221位(10月28日現在)。宮崎県スポーツ協会所属
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今もこの選択に後悔はありません。自分はプロでやりたい、プロしかないなと思っていました
●ードイツ・ブンデスリーガへ行こうと思った理由は?
横谷 大学3年の時にプロになることは決めていました。今はいろいろなプロの形がある中で、自分は「世界」を目指したいと思ったんです。ただ大学4年の時、海外の大会に出ても世界ランキングが全然上がらなくて。このままでは終わってしまうと感じ、自分の実力を見直す修行の期間が必要だと考えました。その答えがブンデスリーガでした。
●ープロ転向への不安はありましたか?
横谷 もちろん不安もあったし、覚悟が決まらない時期が3年の終わりから4年の初めまでは本当に大きかったです。「やめたほうがいいのかな」「厳しいかな」と迷った時期もありました。不安で、方向性も定まらなくて、厳しさを考えると弱気になっていました。
●ー最終的にプロとしてドイツ挑戦を決断した理由は?
横谷 2022年の世界選手権で銅メダルを取れたことが大きいです。自分はあまり出場できませんでしたが、あの舞台にもう1回立ちたい、その先のオリンピックにも行きたいという思いが強くなりました。それは支えてもらってきた方々への恩返しでもあります。「この景色を最後にしたくない」と思ったことが最後の決め手です。

