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【セカンドキャリア】渡辺満「卓球を一生懸命やっていた時間と経験が私の心の支えとなっています」

[インターハイ学校対抗優勝・損害保険ジャパン代理店]

卓球王国2026年1月号掲載 vol.28

青森商高時代に、世界チャンピオンの河野満監督の薫陶を受け、その変幻自在のプレースタイルでインターハイ団体優勝を成し遂げ、専修大でも実績を残した渡辺満。
大学卒業後は故郷の青森に戻り、48歳の時に保険外交員として独立した。卓球での人脈はもちろん、卓球で培った礼儀やコミュニケーション能力を活かし、青森と東京を往復しながら仕事をこなしていく。
保険の仕事は絶対にミスが許されない。追い込まれた卓球の試合にどこか似ている。

Text by

今野昇Noboru Konno

[わたなべ・みつる]
1965年10月12日、青森県で生まれる。青森商業高2年時のインターハイ学校対抗優勝、3年時は2位、シングルス3位。専修大時代、全日本学生選手権シングルスで3位、ダブルス2位。全日本選手権のダブルスはベスト8が最高成績。卒業後、青森に戻り、日専連青森会に就職。その後、損害保険ジャパン代理店として独立。前青森県卓球連盟事務局長、現在常任理事を務める

青森商高、専修大で活躍した渡辺満。高校2年でインターハイ学校対抗で優勝。写真は高校3年のインターハイ

勝つための工夫。フォア表ソフト、バック粒高という独自のプレースタイルを見つけた 

 現役時代、フォア表ソフト、バック粒高でラケットを激しく反転させながら相手を翻弄し、スマッシュを打ち続けた渡辺満。名門・青森商高から専修大へ進み、実業団チームから声がかかりながらも故郷・青森に戻った。青森の日専連で働き、30歳から保険の仕事をするようになり、のちに退社。保険の代理店として独立した。厳しい保険外交員の仕事に向かう渡辺を支えているのは、高校、大学時代の厳しい練習を乗り越えた経験と自信だった。

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