「荻村伊智朗」という生き方 プレーヤーとして、卓球の指導者・理論家として、球界のリーダーとして
名言「卓球は、100メートル競走をしながら、ブリッジをするみたいなものです」
卓球王国2006年2月号より<前編>

Text by
ふじい・もとお
卓球史研究家・世界選手権メダリスト、全日本コーチ、日本卓球協会専務理事などを務めた。2009年に逝去された

プレーヤーとして、卓球の指導者・理論家として、球界リーダーとして
卓球選手、指導者、連盟会長、卓球理論家、そして文筆家。多面的な才能をきらめかせ62年の人生を疾走した男――荻村伊智朗。
日本の卓球界が生んだ偉人、選手として世界を制し、指導者として世界の卓球界をリードした「荻村伊智朗」が1994年12月4日に亡くなった。亡くなる直前まで卓球の仕事に打ち込み、自分の死を知りながらも最後の瞬間まで 「卓球人」であり続けた。
この伝説的な卓球人の功績を振り返り、その生き様と卓球理論に触れることができる本が『荻村さんの夢』と『笑いを忘れた日』の2冊である(2冊とも絶版)。『荻村さんの夢』を編集した、現役時代の荻村さんの練習パートナー、その後仕事でも関わった藤井基男さんに、2回に分けて、「荻村伊智朗」について書きつづってもらう。
◇◇
――それぞれの分野で世界最高峰をきわめた荻村伊智朗とは、どういう人物であり、どういう生き方をしたのか。それを21世紀の卓球人、およびスポーツを愛する多くの人々に知っていただきたい。そういう願いをこめて1月中旬に卓球王国から出版するのが、『荻村さんの夢』(以下、 本 という)である。
2回にわたって、 本 のガイド役を兼ねながら、荻村さん(以下、敬称を省略)について書かせていただく。
世界選手権で、日本人でもっとも多い12個の金メダルを、荻村はとった。その内訳は、次のとおりである。
男子シングルス‥‥54年と56年に優勝
男子団体‥‥‥‥‥54~59年に5連勝
ダブルス‥‥‥‥‥5回優勝

