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[People]森山 惠利子 あふれるバイタリティーで奔走する「世話人」

卓球王国2026年3月号
PEOPLE 森山 惠利子[長崎県卓球連盟 副会長]

Text by
小川勇気Yuki Ogawa

もりやま・えりこ
1951年4月14日生まれ、長崎県南松浦郡新上五島町出身。旧姓・山下。小学5年で卓球を始め、長崎女子商業高卒業後、ブランクを経て24歳で卓球を再開。指導活動の傍ら選手として全日本選手権に4度出場した。長崎市、長崎県の競技団体の運営にも早くからかかわり、現在は長崎県卓球連盟副会長、長崎市卓球協会会長。(公財)日本卓球協会公認レフェリー

「私は、どこかで何かあれば、絶対に手を貸してあげたくなる性格」

長崎県内をはじめ、多くの大会で審判長・審判員を務め、大会役員、指導者としても活動する森山。25年には文部科学大臣表彰を受けた彼女の半生に迫った。

◇◇

 森山惠利子は、長崎県の離島・五島列島の若松島出身。遠洋漁業の船元だった父と教員だった母の間に、6人きょうだいの末っ子として生まれた。姉の影響で小学5年の頃に卓球を始め、中学までは五島で過ごし、高校は本土の長崎女子商業高へ進んだ。

 高校卒業後、結婚と出産を経て24歳の頃に卓球を再開。その際、中学生やレディースの指導を行うようになった森山は、「教えるからには、自分が強くならなければならない」と一念発起し、猛特訓を自らに課した。長崎大や瓊浦高といった県内の男子の強豪チームに出稽古へ行ったり、民間の卓球場で深夜0時過ぎまで練習を敢行したりして、全日本選手権にシングルスで4度出場するほどの実力をつけた。

 その傍ら、森山は仕事にも精を出した。64歳で退職するまで大手インナーウェアメーカー「グンゼ」の販売員として奮闘し、担当店舗で売上日本一の快挙を達成したこともある。午前中にはレディースの卓球教室で指導し、午後からは販売員の仕事。休日や夜には中学生の指導と自らの練習……というハードスケジュールを長年こなした。「何事にも負けず嫌いだから」と笑う森山だが、とんでもないバイタリティーだ。

 長崎市卓球協会と長崎県卓球連盟では、当時の理事長・山口功氏の指導のもと、地域の卓球を支える活動にも若い頃から携わった。「(山口氏は)ものすごく厳しかった。もう、何回泣いたかわからない。でも、すごく良い勉強をさせていただきました」(森山)。

 1997年には自らが旗振り役となって長崎市レディース卓球委員会を立ち上げ、その後、県レディース委員長としても活躍。そして、2023年には長崎市卓球協会会長、長崎県卓球連盟副会長に就任した。

 60歳を手前にした頃には、審判活動に目覚め、猛勉強の末に公認レフェリーの資格を取得。現在にいたるまで県内各種大会の審判長、全日本選手権などの審判員としても活躍している。22年には福岡で行われた、24年パリ五輪の日本代表選考会「全農CUP TOP32」で、女子シングルス決勝の主審を務めた。

 「審判資格は、もっと若い時に取っておけば世界が広がったのに……と後悔しています。今の若い方には、ぜひ早い時期からどんどん挑戦してほしいです」

 中学生の指導も長年続けているが、その中で、近年世間を騒がせている「部活動の地域展開」については、次のような見解を持つ。

 「私のような『昭和の人間』は、いわゆる『不良少年』が多かった昔の中学校の惨状を知っています。そういう子たちを部活動に熱中させて問題を解消してきたのに、また元に戻すのか?と思ってしまいます。子どもたちをきちんと育てるために何が必要なのか、『上』の人にはもう少し考えてほしいですね」

 25年には、そのマルチで熱い積年の働きぶりが評価され、文部科学省から生涯スポーツ功労者表彰を受けた。

 「私は、どこかで何かあれば、絶対に手を貸してあげたくなる性格」という世話好きの森山。これからも長崎の卓球界を盛り上げるべく、大会運営、審判活動、指導に奔走し続けるつもりだ。

(文中敬称略)

2025年10月、令和7年度「生涯スポーツ功労者」の表彰式に参加した森山