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[プロコーチの草分け、37年目の挑戦]村上恭和「最後の仕事として、このピラミッドを形にしたい。死ぬまでにね」

卓球王国2026年3月号 村上恭和インタビュー後編●日本生命レッドエルフ総監督 

村上恭和は日本でのプロ卓球コーチの草分け的存在である。
近畿大から和歌山相互銀行に入行し、日本リーガーとして活躍。
1983年世界選手権東京大会にも日本代表として出場した。
その後、30歳で指導者となり、日本生命卓球部の監督、
のちに全日本女子監督として2012年ロンドン五輪と2016年リオ五輪の女子団体でメダルを獲得した。
コーチ生活37年目を迎える村上恭和が自身の半生を振り返り、そして「最後にやるべきこと」を語った。

PHOTO 今野昇

Interview by

今野昇Noboru Konno

人から見ると大雑把に見えるかもしれないけど、結構考えています。準備こそが、運をもたらすすべてだと思っています。

■ 村上恭和 むらかみ・やすかず
1957年12月9日生まれ、広島県尾道市出身。近畿大附属福山高から近畿大へ、進み、和歌山相互銀行へ入行。1983年世界選手権東京大会に日本代表として出場。30歳にして銀行を退職してプロコーチの道へ進む。その後、日本生命卓球部監督に就任し、数多くの優勝にチームを導く。2012年、16年の五輪では全日本女子監督としてメダルを獲得した

ロンドン五輪のメダルはすべての試合の中で一番じゃないですか。重みもありましたし、卓球で日本中が喜んでくれた

 1997年から全日本コーチの肩書を持ち、日本国内だけでなく世界に目を向けるようになった村上。2012年ロンドン五輪では、女子団体で悲願のメダル獲得を果たした。その裏には、彼の緻密な計算と卓越した勝負勘があった。

◇◇

●─そして2012年ロンドン五輪を迎えます。

村上 (メダルの)確信はなかったです。ただ、その当時、ドイツには世界選手権でも勝っていましたし、ライバルの韓国にもモスクワでの世界選手権で勝っていた。上にいるのは中国とシンガポールだけでした。

 シンガポールの馮天薇には誰も勝てなかった。チームランキングは2位でも、実力は3位か4位だと思っていましたが、メダルは狙えると考えていました。

 実際、予想どおりドイツには楽勝で、準決勝がシンガポール。ダブルスのペアは、ドイツだったらこのペア、韓国だったらこのペアと決めていて、シンガポール戦では、福原・石川だったダブルスを、急きょ平野・石川に変えました。

 トップの福原対馮天薇は計算に入れず、2番の王越古には石川が得意だったので当てにいき、3番のダブルスは平野・石川で相手ペアは王越古とリ・ジャウェイ。4番で福原をリ・ジャウェイに当てたかった。結果は3―0。できすぎでした。頭の中では、とにかくダブルスを取らないといけないと考えていましたからね。

●─メダルを獲った瞬間は?

村上 団体戦で言うと、すべての試合の中で一番じゃないですか。重みもありましたし、卓球で日本中が喜んでくれたというのは、後になってわかったことなんですよ。

 大会後は講演会に引っ張りだこでしたし、大変でしたよ。講習会も多かった。でも、良い忙しさでしたね。ニッセイの選手はひとりも出ていなかったですけど、会社も喜んでくれました。若手も育ちつつありました。ジュニアナショナルチームも一緒にワールドツアーに行きましたね。伊藤美誠、平野美宇、加藤美優とか、みんな強かったし、夢はすごくふくらんでいました。そういう楽しみはありました。

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