坂本竜介が語る、女子卓球黄金時代の光と影「年間250日くらいは海外にいますね」
卓球王国PLUS独占インタビュー <その1>
坂本竜介 大藤沙月・横井咲桜 専任コーチ/UPTY
横井咲桜(ミキハウス)、大藤沙月(ミキハウス)、その二人が2024年以降急成長を遂げている。
この二人の躍進の背景に、2023年以降に指導を始めた坂本竜介の存在があったことは見逃せない。
青森山田高校時代からドイツへ卓球留学に渡り、岸川聖也や水谷隼とともに日本男子卓球の歴史を塗り替えた立役者の一人である坂本。
その彼がいま、指導者として女子卓球界をも大きく変えようとしている。

さかもと・りゅうすけ
1984年11月25日生まれ、愛知県出身。1996年全日本選手権ホープスの部優勝、1999年全国中学校大会シングルス優勝、1999年度全日本選手権ジュニア優勝。青森山田高3年の2002年にドイツのデュッセルドルフに岸川とともに卓球留学し、ブンデスリーガで5シーズンに渡り活躍。青森大卒業後は協和発酵(現協和キリン)に入社。全日本選手権ではランク入り(ベスト16)すること6回を数え、2005年度にはベスト4入り。2004年度、2006年度全日本選手権混合ダブルス優勝。現役引退後は卓球場経営を経て、T.T彩たま監督、2023年から大藤沙月、横井咲桜のコーチを務める
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コーチを引き受けた当時は、WTTの試合数がここまで増えるとは予想していませんでした
1990年代、日本の卓球界は長い低迷期にあった。とりわけ世界のプレースタイルの進化に順応できなかった男子攻撃陣は、国際舞台で苦戦を強いられていた。
この窮地を打破すべく、日本卓球協会は青森山田高校や仙台育英学園の協力を得て、若き才能を欧州へと送り出す。高校生の坂本竜介、中学生の岸川聖也、そして後に続く水谷隼、高木和卓、村守実らである。彼らがドイツの名将マリオ・アミズィッチのもとで学んだこの試みこそ、日本男子卓球の運命を変えた「ドイツ卓球留学」の幕開けであった。
ドイツ仕込みの現代卓球を武器にした坂本や岸川、水谷らの躍進により、日本男子は一気に世界の潮流へと乗り出すことになる。その立役者の一人である坂本竜介は、実業団の協和キリンでも活躍。現役引退後は卓球場経営やTリーグ監督を経て、現在はミキハウスの大藤沙月、横井咲桜の専任コーチとしてその手腕をいかんなく発揮している。
本稿では、そんな彼の独占インタビューを掲載。指導者として、また一人の開拓者として世界を転戦する坂本の視点から、熾烈を極める日本女子卓球界の現在地を紐解く。
◇
●―大藤沙月選手、横井咲桜選手のコーチを引き受けたのはいつ頃だったのでしょうか?
坂本 横井が2023年6月、大藤が同年10月の終わり頃からです。
●―坂本くんと言えば、2002年に日本男子初のドイツ卓球留学を敢行した先駆者です。その後、日本代表、協和キリンでの実業団活動を経て、松平健太選手の専任コーチやTリーグの監督も務めました。キャリアが非常に長いですね。
坂本 自身の卓球場(Upty)を運営しながら健太のコーチをしていました。T.T彩たまの監督時代を含めると、彼とは7年ほどの付き合いになります。
●―指導経験は豊富ですが、この2年は横井・大藤両選手に帯同して、相当な頻度で海外を回っていすよね。
坂本 年間250日くらいは海外にいますね。日本にいる時は家族のいる東京にいますが、選手たちの拠点は大阪ですし、Tリーグの遠征もある。実際、自宅に居られたのは年間60日程度かもしれません。コーチを引き受けた当時は、WTTの試合数がここまで増えるとは予想していませんでした。
WTTは1大会につき8~9日は滞在します。世界選手権なら2週間。チャンピオンズやスマッシュなどの主要大会だけで年間10大会、それにスタコンやワールドカップ、アジアカップ、世界選手権などが加わると15大会を超えます。二人が別々の大会に出るケースも含めると、この1年で28大会に帯同しました。

