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【セカンドキャリア】松下智子「教えるのも好き、卓球も大好き、そして何より子どもたちが大好き」

松下智子(旧姓:下長)[世界選手権日本代表/熊本県城山卓球クラブコーチ]

卓球王国2026年7月号掲載 vol.31

全中(全国中学校大会)、インターハイと優勝を重ね、世界選手権日本代表として日の丸を背負って戦った下長智子(現姓・松下)。 結婚、出産、子育てを経て、現在は故郷・熊本でレディースや子どもたちを指導する毎日だ。大好きな卓球と子どもたちに囲まれ、充実した日々を過ごしている。

Text by

今野昇Noboru Konno

2026年1月の全日本選手権で教え子の山室早矢のベンチに入る松下智子(左)

[まつした・ともこ]
1966年7月14日、熊本県熊本市生まれ。旧姓下長。三和中の時に全国中学校大会優勝、全日本ジュニアで準優勝、熊本女子高の時にインターハイで優勝。青山学院大を卒業後、十六銀行に入行し、全日本選手権では2度の3位入賞、世界選手権に2度出場。松下雄二と結婚後、2000年に熊本に戻り、夫・松下雄二とともに城山ひのくにジュニアで指導を行っている

振り返ってみれば、私の人生の根底にあるのは「好奇心」と「愛情」です

 熊本市城山で生まれ育った下長智子。卓球との出合いは小学4年生の終わり。地元の小学校の顧問だった西村民雄先生に手ほどきを受け、三和中学校に進学すると、外部コーチの島川芳人先生に出会った。当時はアンチラバー全盛期で、両面黒の裏ソフトとバックにアンチを貼ったカットマンとして、中学3年で全中チャンピオンになった。
 地元の熊本女子高校(現・慶誠高校)に進むと両面裏ソフトのオールラウンダーに転身し、インターハイで優勝するものの、優勝した翌日にはバック面を粒高ラバーにして、異質攻撃型に転向。全日本選手権で3位入賞、世界選手権に出場するなど活躍した。

◇◇

 全中優勝後のルール変更でラバーの両面同色が禁止されたことが、転機となりました。両面裏ソフトに転向し、高校3年のインターハイで念願の優勝。直後に指導者の高木誠也さんと話し合い「次は世界で勝ちたい」と決意した翌日、バックを粒高に変えました。151㎝の身長で世界と戦うには、鄧亜萍(中国/五輪金メダリスト)のような異質攻撃型が最善だと冷静に判断したのです。

 私は新しい挑戦が大好きで、ラケットを反転させて戦う新スタイルにワクワクしながら取り組みました。その年度の全日本選手権は星野美香さんに敗れましたが、1985年の世界選手権代表に選出され、1991年の千葉大会でも再び日の丸を背負うことができました。

 青山学院大学に進学し、卒業後は十六銀行に入行。当時では珍しいフルタイムで練習できる環境でしたが、私はマンネリを嫌う性分。常に緊張感を求め、自ら他チームの監督に電話して出稽古をお願いしていました。卓球の面白さは、あの頃も今も全く変わりません。

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